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好きな日本人作家の話

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個人的な話になるが、昨年夏頃から読書習慣が7年ぶりくらいに復活した私は、ようやく日本の文学作品を多少なりとも広く読むようになった。 私は音楽でも読書でも基本的には、誰か1人(もしくは1グループ)に猛烈にはまり、その人(グループ)に影響を与えたものに派生していく形で趣味の幅を広げる。だから、ジャンルだったり年代だったり、客観的な分類で話を始めるとうまく入っていけないことが多い。 読書については、特に村上春樹作品によく登場するフィッツジェラルドのようなアメリカの作家の方面で広げてきたように思う。 それが、最近改めて村上作品だったり関連作品だったりを読み直していた中で、ようやく夏目漱石に辿り着き、日本文学を色々と楽しみたいと考えている状況が現在である。 まずは夏目漱石の話をする前に、 内田百閒 について。 村上春樹「1Q84」の中で天吾が病室で眠り続ける(そして不和でもある)父に向けて淡々と読み聞かせをする場面の中で登場する「 東京日記 」という小品集からの一節が何となく強烈な印象を与えてきた。最初はその文の出典がわからなかったところから頑張ってこの作品を探し出してきて、読んでみて大好きになった。個人的には、「 百鬼園随筆 」、「 御馳走帖 」で見せるへそ曲がりの頑固な厄介者な姿や「 ノラや 」で見せる可愛らしさなどもまた、随筆を通じて見ることができた百閒先生の姿であり、この作家に強い親しみを覚えることとなった。 明治の終わりに岡山県に生まれ、昭和の終わりまで生きた作家。夏目漱石の大ファンとして帝大入学と共に上京し、芥川龍之介に背中を押されてプロの小説家になったらしい。 本当にその素直な日本語の使い方が印象的で、とても好感の持てる作家だと思う。 さて、話を夏目漱石に戻す。夏目漱石を手に取ったのは複数の要因からだった。 一つは、 内田百閒 。上述のとおりであるが、彼は夏目漱石の大ファンであり弟子でもある。 もう一つは、「 海辺のカフカ 」。主人公の少年が高松の図書館で夏目漱石の「 坑夫 」を読む場面がある。 さらにもう一つが、 芥川龍之介 。新潮社が「 芥川龍之介短篇集 」(ジェイ・ルーピン編)という、英語話者向けに海外で発売されたものを「逆輸入」したものがあるのだけど、その序文を村上春樹が書いているということで手に取っていた。そして、芥川龍之介は内田百閒の親友であり、夏目...

小説「がき」

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もちまちま更新してまいりますので、引き続きよろしく遊ばせ。 実は2月頭に引っ越しが決まり、色々ばたついている。 そんな中、前回に引き続き、自分が見た夢を小説調にしてみる試みを再度。 今回は、12/26の早朝に記録した夢がベース。ある意味ホラー?タイトルは「がき」。前回のもそうだけど、夢をベースに書いてみると、内田百閒の「東京日記」っぽくなる気がする。 がき - RT - g.o.a.t よろしくご査収ください。

ここ最近の読書歴

最近読んだ本の中で、特に印象的だったものについてまとめたい。 大体、8月頃から読んだものが中心である。 作家別にまとめておこうと思う。 遠藤周作 海と毒薬 沈黙 留学 最近、一番ぐっとくる作家が遠藤周作。彼の描く主人公たちのある種の弱さや後ろめたさが胸に来る。 第二次大戦の中で米軍捕虜に対して行われた人体実験に着想を得て書かれた「海と毒薬」(これは再読)の主人公は、世界や自分の属する社会の流れに抗する力も意気もなく、流されて実験の場に同席することになるも、その倫理的な壁を超える気合もなく、ただ部屋の隅で呆然とする。その意気地ない振る舞いに自分を重ねてしまう。 「沈黙」は江戸初期、鎖国下の日本に禁教とされたキリスト教を布教しようとした西欧人の話。純粋な熱意を持って長い船旅を経て日本に潜り込むも、日本におけるキリスト教の現状に打ちのめされ、最後には大きな運命の流れに逆らうことを放棄する。この小説は1971年と2016年に映画化されている。 「留学」は繋がりのない三本の小説から構成される。それぞれ、全く別の小説ではあるが、現代よりもハードルの高かった留学という出来事を通じて、主人公たちの人生に対する後ろめたさや、取り繕った表面とは裏腹の意思の弱さや自尊心の低さが露呈していくという共通のテーマをもっている。つい先日初めて読んだのだが、主人公の心の動きにとても近いものを感じるところもあり、現時点では遠藤周作作品の中で一番印象的だった。 内田百閒 ノラや 百閒随筆1 御馳走帖(現在、読中) 芥川龍之介と同じく夏目漱石門下の作家。上に挙げた3作品はどれも随筆集で、御馳走帖以外は数年前に初めて手を取って以来の再読。 「ノラや」は百閒先生とその家に棲み着いた猫(初代・2代目)との生活に関する随筆。「猫好きではない」と言い張りながら、行方をくらましてしまった猫の行方を気にして食事も喉を通らない百間先生の姿がすごく可愛らしい。とかくこの方の随筆は、ご本人の頑固さやひねくれが溢れていて、その強い人間味に惹かれるのだけど、そんな百閒先生が言葉と裏腹に猫が可愛くて仕方がないことが伝わっている文がとてもいじらしい。 「百閒随筆1」は講談社文芸文庫から出ている随筆のオムニバス。作品の一貫性は無いが、内田百閒という作家がどういう視点で世界を見ているかがよくわかり興味深い。この本を手にとったのは、村上...