投稿

30歳を迎えて/渾身の一曲「海猫」

イメージ
30歳を迎えた。 20歳を迎えたときには、自分の人間性の自信のない部分については置いておいて、現実的な技能をまずは身につけていこうと、人間性は30歳からでいいだろうと、そんなことを考えていた。 結局、そうもいかず、人間性の足りないところからぼろぼろに崩れていったところもあった。しんどかった。辛かった。自分そのものが恥だった。 小賢しい生き方ばかり身につけて、技巧的に振る舞う自分が醜く思えて仕方なかった。 色々あって、ここ2年で自分の特質・自分の生き方・自分らしさを考えてきた。 よく考えてみると、子供の頃から生きづらかった気がする(年齢だけ30歳になったけど、果たして今の私は「オトナ」になれたのだろうか)。 そうなんだけど。 そうなんだけど。じゃあ、自分の人生のどこかのタイミングに戻れるとして、俺はそれをするだろうか。 いや。しないなあ。しんどかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、死ぬほど腹がたったこと、誰かを傷つけたこと、恥ずかしいこと、それともちろん楽しかったことも、その全てが俺のアイデンティティなんだろうなと思う。 たぶん、それをどこかできれいに書き換えたら、きっとそれは最早俺じゃないんだろう。 ネガティブに自分を傷つけながらここまで来て、その中で作られた自分の視点を大事にしたい。 30代は、一つ一つこれまで落としてきたものを拾いながら、一歩一歩、生きていこうと思う。 まあ、しんどいんだけど。色々。情けなくて自信がなくて、どうしようもないんだけど、それでも。 たぶん、生きるってそういうことなんだろうと思う。自分の歩幅で、少しずつ。ポコ・ア・ポコ。 そんなこんなを思いながら書いた渾身の一曲。ぜひ聴いてほしい。 歌詞は縦書きブログで公開しております。こちらもよろしければ。 海猫 - ウミネコ - g.o.a.t (goat.me)

或日スタジオにて

イメージ
本日14時から16時で、柏のStudio North Hollywoodで動画撮影をしていたときの模様。あとで数えたら44回録画ボタンを押していた。 途中、自分で書いた曲を演奏しきれないのがあまりにしんどくなったタイミングで、顔をぎゅうっとして、(ウミネコだし、)「にゃあ」と言ってから撮ったテイク(このテイクをYouTubeにあげるとしたらにゃあは切ります、さすがに)。 あまりにもミステイクが重なると、「せっかくの休日なのに指先痛くして何してるんだろ」とか、「大事な曲なのにこんなネガティブなテンションでいいのだろうか」とか、「俺はこの大事な曲を一生撮り切れないんじゃないか」とか、挙句の果てに、全く関係ない最近の心掛りが頭の中に湧いてきて、それを振り切らないとというのがあって、そういう儀式が今日はこれ。 なんか、一曲の動画を録るのって、禅みたいだなって。 今日の自分の場合、44ファイル中3テイク残した。ファーストテイクとか、ライブとか、プロってやっぱすげえなあと思う。  この曲は3月か4月頃から練っていて、自分の人生をどう捉えるかというのがテーマで、ちょうどいいので近く来る誕生日に公開しようと思う。今回の3テイクで満足いくものがあればがいいが。。。なければ来週も同じ曲の撮影作業かな。

たりないふたりとたりないふたりとたりない私とたりないひとたち

イメージ
2021/5/31 配信ライブ「明日のたりないふたり」 南キャン・山里とオードリー・若林による漫才ユニット「たりないふたり」の解散ライブを仕事を早めに上がって視聴。 ただのお笑いじゃない。 たりないことを受け入れて笑ってやっていいって、教えてくれた。たりてないのが私だけじゃないと教えてくれた。人生をもがいていくのがどういうことなのか教えてくれた。 私と一緒にたりないふたりに共感していた、別のたりないふたりが武道館でライブやって、Mステに出て、それでもまだたりない曲を書きながら、バカスカと実力を見せつけている。 ほんと、たりないふたりは、素晴らしいコンテンツだ。 奇跡的なつながり。だけど、たぶんこれは革命でもなんでもない。どこに飛び立つヘリコプターもない。たりないひとたちは引き続きたりないままやってくんだろうな。 でも、ほんと感動したんだけど、欠落って、不足って、共有できるんですね。 私のしんどかった時期に、一人じゃなくてよかったと思う。上に革命じゃないと書いた。たぶん彼らの「たりないふたり」だけでは、まだ何も変わっちゃいないと思う。 だけど、彼らは「たりない」ことが共有されるコンテンツたりうることを示した。たりてないことがどれだけ満ち溢れてるかを見せつけた。 彼らが生の不満をぶつけてそれでも一緒にいられたことは、それはたりないふたりだったからなんだろうな。 ああ、たりない私は、たりないふたりとたりないふたりにどれだけ救われてきたか。素晴らしい芸能だった。たりないふたり。 今日、時間を共有した私たちは皆、明日からもまたたりないままなんだろう。 ありがとう。山里さん、若林さん。たりないふたり、めちゃくちゃ楽しかったよ。めちゃくちゃ共感したよ。めちゃくちゃ安心したよ。めちゃくちゃ助けられたよ。あなたたちがCreepy Nutsを引っ張り上げてくれたおかげで、HIP HOPのかっこよさを知ることができたよ。あなたたちたりてないひとたちが表現をしてくれているおかげで、私も一人じゃないんだってずっと思うことができたよ。 きっとたりてる私だったら、このたりてないひとたちには会えなかったんだろう。 ああ、たりてなくて良かったなあ。

最近スタジオによく行っているという話とその他諸々;「ウミネコ」を名乗るようになったこと

イメージ
[ご報告]: 表現者としての自称として「 ウミネコ 」を名乗ることにしました。ずっと自称を考えていたのですが、あまり肩肘張らないもので、なんとなくイメージのいいものとしてこの鳥の名を拝借することにしました。私は海の広さが好きですし、海鳥のようにゆらりゆらりと生きていきたいと、そこらへんの気持ちからつけた名前です。あと、敬愛するスピッツも「海ねこ」という曲を出していますのでそれも後押しに。さて。 ブログの更新が滞っていた。 最近はとあるサイトづくりでプログラミングに張り付いていて、仕事と関係ないところで忙しい。ちなみにこのサイトにも関係あるサイトだから、そのうちご報告することになると思う。 ただ、仕事でもプログラムを扱うもので、そればっかりになってしまうとストレスだから、できるだけスタジオに行くようにしている。YouTubeではアップロードしていたのだけれどブログ記事でまだ掲載していない動画を、一気に貼り付けておこうと思う。 「 春がくる 」(2021/3/20撮影) 春が来る曲。実家に住んでいた20歳頃に、近所の桜の木を見て書く気になった曲。 「 フラジャイル 」(2021/3/27撮影) 2019年2月のはじめごろ、一番しんどかった時期に書いた曲。こういう曲も、ちゃんと自分のポートフォリオに入れておこうと撮り直しした。 「 風の吹く夜(もう一度風の中へ) 」(2021/4/11撮影) 自分としては初期の曲。19歳ごろ(だったと思う)書いた曲を改めて今の自分の視点で書き直してみた曲。誰も知らない曲の別バージョンって。。。とは思わなくもないけど、まあよし。 (カバー)「 YOUNG LOOSER (毛皮のマリーズ)」(2021/4/11撮影) この間、唯一のカバー曲。個人的に、日本語ロックで一番文学的な歌詞だと思うので、一度自分でも歌ってみたかった。ぜひ、本物を歌詞読みながら聴いてみてほしい。 「 マイ・ロックンロール 」(2021/5/3撮影) 数年前、たぶん2017年か2018年に書いた曲。2018年だったかなあ。私が曲を書く、ということについて書いた曲。なのだけど、ダウンピッキングがきつい。もう少し練習してもう一度撮り直したいなあ。 その他、自分のことについて書きたいことは溜まっていて、時間を見て曲を書いている。また近いうちに新曲もあげられるかと思う。

「抜き書き」のページを作った話

読書をしていると、「お、この表現は」というのが多々あるので、それをまとめたページを作った。 読書・抜き書き (satsumage81.blogspot.com) 最近、「生きること=表現すること」という等式は成り立つのではないかとよく思う。「表現」なんていうと、達者であることを求められるような気にもなるけど、別にそんなことはなくて、言いたいことを言って、書きたいことを書いて、歌いたいことを歌って、最低限それが他人を傷つけない範囲であれば、それは全てその人に必要なことなのだろうなと。 ある人にも言われたけど、それを殺しちゃいけない。 それで、オリジナルな表現というのは演繹的な表現なのかなと思うのだけど、自分の好きなもの、心を動かされたもの、嫌いなもの、そんなものを羅列するというだけでも、これはこれで帰納的な自己表現になるのかもなあなどと考えている。 このページはその一環。自分の心を動かした表現を一つ一つ書き写していくと、もしかしたら自分にも見えていない自分の姿が見えるかもしれないな、などと期待している。

音楽絡みの動画を4つ挙げました;引越し先で新しいスタジオへ行ってきた

イメージ
引越絡みでなかなかギターに触る時間もなかったところ、久々にスタジオへ。引越し先の街にスタジオはなかったので、柏のスタジオへ。 STUDIO NORTH HOLLYWOODさん (@STUDIO_NOHO) / Twitter 目標としていたのは、オリジナル1曲とカバー1曲の録音だったものの、行ってみたら今日は比較的スムーズに録音できたので、オリジナル2曲、カバー2曲を録音してきた。 まずはオリジナルからご紹介。 「オープン・マイ・アイズ」 昨年は、人との向き合い方を考え直す1年だった。そんなプロセスの中で書いた曲。曲を書いたのは9月頃のことだった模様。 「小春」 こちらは昨年11月に、小春という言葉が旧暦10月を表しすこともあることになんとなく強い印象を受けて書いた曲。 続いて、カバー曲。 「深夜高速」(フラワーカンパニーズ) 歌詞が大好きで、独りでカラオケに行くときにもだいたい歌う。カバーしてみて気がついたのだけど、コード進行が恐ろしくシンプルで、その分表現が難しいと思った。 「幸福論」(椎名林檎) 高校時代に組んでいたバンドで「幸福論(悦楽編)」をカバーして以来、なんとなく口ずさむことの多い曲。当時はベースだったから、ギターも歌もやってはいなかったのだけど。そして、個人的には、悦楽編よりオリジナルが好きだったりする。 椎名林檎の「オーラ」って、かなり危ない諸刃の剣で、下手に手を出すとかなり痛々しくなるかなと思い、曲中から彼女独特の雰囲気を出しているコードを外してしまった(練習不足という面も多分にある)。 練習不足というか引越しやら何やらでギター触ってなかったのを痛感したスタジオ入りだったけど、割と好きな曲を好きにやったのはよかった。

村上春樹『若い読者のための短編小説案内』の案内(2021年2月時点)

イメージ
私は村上春樹がとても好きなので彼の本を色々と買い込んでいるのだが、本棚を見て「そういやちゃんと読んでなかったな」と思った本があった。 それが、「若い読者のための短編小説案内」(文春文庫, 2004年(単行本1997年))だった。手に取った当時この本を読めなかったのには明確な理由があった。この本では、「第3の新人」という日本の文学史のなかの一群の作家の短編を扱っているのだが、私は当時日本文学に興味を持っていなかった。それが理由である。 ところが、ここのところ急激に日本文学に興味をもつようになった。 これについては前記事で:「 好きな日本人作家の話 」 という流れがあり、今回本書を読むことにした。 この本の中では6人の、第3の新人に類される作家が扱われる。 以下に扱われている作家の情報をまとめる(入手困難か否かについては、書店で発注して入荷してもらえるか確認した結果。Amazon等で探せば中古なら下記の全集以外の収録書籍を入手可能。全集で読むなら図書館で探せば恐らく見つかるはず)。 小説家名 作品名 今回確認した収録書籍 入手困難? 吉行淳之介 水の畔り 吉行淳之介全集1(講談社) 困難 小島信夫 馬 アメリカン・スクール (新潮文庫) 購入可能 安岡章太郎 ガラスの靴 質屋の女房 (新潮文庫) 購入可能 庄野潤三 静物 プールサイド小景・静物 (新潮文庫) 購入可能 丸谷才一 樹影譚 樹影譚 (文春文庫) 購入可能 長谷川四郎 阿久正の話 現代の文学22 長谷川四郎 開高健 (講談社) 困難 吉行淳之介「水の畔り」については、この作品は探しづらいが、芥川賞受賞作品でもある「驟雨」を収録する「原色の街・驟雨」等は購入可能(「水の畔り」はマイナーな作品のようですね)。この本に収録されている「漂う部屋」は「水の畔り」と同じ病室を扱った短編。 長谷川四郎「阿久正の話」については、この作品だけでなくこの作家の単行本そ