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小説「緑のおおとかげ」

今朝の夢を書き出したら結構まとまってたので、一部書き換えて短編小説調にしてみた。 小説を書きたいという創作意欲は、十年来あったのだが、夢を言語化しただけだから、創作とも言い難い部分もあるので、なんともなのだけど。個人的にはなかなか興味深いものになった気がする。 緑のおおとかげ - RT - g.o.a.t

しんどい日の日記

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しんどいなあ。 しんどい。 「たかがそれだけ」のことから始まって、色々なことを連想する。 自分の中の虚ろが強く存在感を主張する。録画していた深夜番組が途切れたとき、聴いていた曲が終わったとき、読んでいる本を置いてトイレに行こうとしたとき、部屋の中に充満する空虚さが強くその存在を主張してくる。 色々考えると、これまでの自分の行動原理は基本的に虚無感だったんだなあと思う。心の内にある虚無感を埋めるためにあらゆるものを詰め込み詰め込み、それを漏らして漏らして、ずっと空っぽのまま走っていたのだろうなあと。これまでの人生で色々な優秀な人たちのなかに紛れる機会が多かったのだけど、その度にいつも自信に満ちている彼らと比べたときの自分の色のなさを(無意識下で)意識していたんだろう。 もう、色んなことが正直しんどい。何で皆平気な顔してこんな世界を生きてるんだろう。 この歳で漸く、どうにか歩いていく方法を学ぼうとしている。右足を出して左足を出して、その次の右足を挫いて、勢いで左足も怪我をして、うまくいかない。周りの人間がたったかたったか歩いている中で俺は何をちんたらちんたらやっているのかと反吐が出る。 何で俺はこんなにもうまく歩けないんだろう。 「俺たちはただ普通に息を吸って吐くだけが何故難しいでしょうか」(in 「オトナ」by Creepy Nuts) だけど、まあ、何だろう。外的要因じゃないんだよな。ずっと。もう20年以上、内に抱えてたもので、いつかは向き合わないといけなかったものなんだろうと思う。 ニュースに出てくる下らない年寄りにならないために、今のこのしんどさがきっとあるんだろう。俺に、あんなことを言ったあの下らない中年にならないために、今のこのしんどさがあるんだろう。どうにかしてこうにかしてこのしんどさの中を生きていって、どうにかしてこのしんどさの先に中身のある自分を見つけてやりたい。この歳でこのしんどさに向き合うのは、ある意味幸運なのかもしれない。みっともない年寄りになる前に、自分の大きさをもう一度考える。 自信はさらさらないのだけど。全くないのだけど、このしんどさの先に、しんどさを誤魔化さずに向き合った先に、虚ろではない自分が居るとでも思ってないと、立っていることすらしんどいよ。 しんどいものはしんどいから、無理はしちゃいかんね。俺はもう壊れてたんだよ。長い間。ようや

久々に映画の話;自分の価値をどう定めるか

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最近は本を読むことが多いこともあって、あんま映画を観ていなかった。 久しぶりに映画を観た話を。 「おんなのこきらい」 https://eiga.com/movie/81389/ 監督は加藤綾佳、主演は森川葵。 数年前に初めて観て、その後も数度鑑賞している。 森川演じる主人公キリコは、徹底的に媚を売り、男にはちやほやされ女には嫌われる「かわいい女の子」。かわいくあることに全てを費やし、かわいい食べ物を食べるのが大好きで大量に食べるものの、体型を維持するためにそれを全て吐く摂食障害者。 齢二十九を迎える男がどうしてと思われるのかと思うかも知れないけど、私は主人公キリコにすごく共感を覚える。 徹底してイメージを作り上げて生きていくことが生む自分の中の空虚さ。 イメージに頼って生きて、そのイメージが崩壊したとき・維持できなくなったときに自分の人生が迎えるカタルシス。 キリコにはずっと好きで尽くしていた男がいた。その男のためにずっとかわいくあり続け、その男にはそういうところが面倒くさいと振られ、別の女とくっつくことになる。その女に言われる一言。 「おばけみたい」 自分は、皆に好かれるために、この世界でやっていくためにそのイメージを纏ってきたのに、気が付いたらそのイメージの内側に何もなくなっている。人生の全否定である。 キリコの人生が崩壊したときの感覚が私にもよくわかる。 私ももう、自分のイメージをコントロールして生きていることに疲れてしまった。イメージのコントロールが生む空虚さに耐えられなくなってしまった。 恐れることも怒ることも、自分に許すことができずにオトナになってしまった。 表では、冷静で柔和で人の良いイメージを作りながら生きてきた間に、どんどん自分の中の自分の価値がなくなっていった。それを埋めるために必要なものはそんじょそこらの欲求では敵わない。 キリコは、それを埋めるためにかわいいものを食べ続け吐き続けていた。私も、それに似たことを色々とやりながらここまで生き延びてきた。 そんな生き方は保つ訳がない。その空虚さを埋めるべく使われるものの全ては、人間の身体を健全に保つようなものではない。過食症をもつ人は、口にしたものを全て吐くから、体内を激しく傷つけるし、薬を飲んでも吐くが故にそれが効かないとも聞く。 この映画の訴えかけることは、自分の価値を自分でどう定めるか。本当の

なぜ天才でもないのに曲を作るか;新しい曲のご紹介(歌詞込み)

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新しい曲を書いた。 「幸せになれますように」 うまく説明するのが難しいのだけど、これまで書いた曲の中で一番手応えのある曲だったりする。 曲としては大したことないと思う。そんな複雑な構造も美しいメロディもなく、言いようによっては凡庸だとも思う。 だけど、この曲を録音したときに、「ああ、俺が曲作りで書きたかったのはこういう曲だった」と、そんな気持ちになった。 歌詞としては、都内を歩いていてふと目についた景色と自分の人生を重ねたもの。秋葉原の駅近くで、寒い中、笑顔を振りまきながら客寄せに立つ女性。 程度の差こそあれ、自分の体を、女性であることを、自分の本音を隠して売っている人たち。きっとその人達にもそれぞれの考えや思いがあって、それを勝手に遠巻きに悲観的に見るのもどうかとは思うのだけど、作りきった自分を売って報酬を得るというその生き方が、なんだか自分の生き方と重なってしまって。 私も、ずっと娼婦的な生き方をしてきたと思う。作り笑顔と相手の求めることに応じて、自分を殺して。それで、コミュニティの中での安定した立ち位置とか、批判されない安全性とか、そういう報酬を得てきた。 そこには報酬がある。だけど、一方で私達はその報酬を身を切らずには得られない。隠した本音は、たぶん私達が一番大事にしないといけないもので、それを差し置いて売り続けた身体は、目に見えないところで、相当に傷つくのだと思う。 私は、どうしたらそんな娼婦的生き方を変えられるのかわからない。どうしたら、彼女たちが幸せになれるのかわからない。だけど、この世界のほの暗いところで、静かに傷ついていく人たちが少しずつでも幸せになれたらいいなと、そんな願いを込めた曲。私はキリストでもブッダでもない。自分のことすら救えない。祈ることしか出来ないんです。 そんな歌。初めての試みだけど、歌詞を掲載してみる。 誰かを、自分を祈ることができる歌を書けたのが少しうれしい。 あと、この曲も書けて嬉しかった曲(先日紹介済み)。 こちらもせっかくだから歌詞カードを作ってみた。 私は音楽が好きだ。それなりに色々な音楽を聴いて感動してきた。ある種の音楽をあほらしいとバカにして、ある種の音楽を崇めるように聴く。だから、自分で曲を作ったものを聴いても、凡庸だなと思うことは多々ある。 また、私は小説が好きだ。それなりに読んできた。たまに書きたいとすら思う。