読書・抜き書き

読書して記憶に残った表現の記録。

他人の表現の刺さった部分をまとめていくと、その重なった部分が私という人間になるかもしれない。

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村上春樹
  • 「どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになってないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
    「でも踊るしかないんだよ」
    「それもとびきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」(ダンス・ダンス・ダンス)

  • 外殻と本質を逆に考えればーつまり外殻を本質だと考え、本質を外殻だと考えるようにすればー僕らの存在の意味みたいなものはひょっとしてもっとわかりやすくなるんじゃないか(海辺のカフカ)

  • 僕が求めているのは、僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁がほしいわけでもない。僕がほしいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解ーそういうものごとに静かに耐えていくための強さです(海辺のカフカ)

  • フルニエの流麗で気品のあるチェロに耳を傾けながら、青年は子どもの頃のことを思い出した。毎日近所の河に行って魚や泥鰌を釣っていた頃のことを。あの頃は何も考えなくてよかった、と彼は思った。ただそのまんま生きていればよかったんだ。生きている限り、俺はなにものかだった。自然にそうなっていたんだ。でもいつのまにかそうではなくなってしまった。生きることによって、俺はなにものでもなくなってしまった。そいつは変な話だよな。人ってのは生きるために生まれてくるんじゃないか。そうだろう?それなのに、生きれば生きるほど俺は中身を失っていって、ただの空っぽな人間になっていったみたいだ。そしてこの先さらに生きれば生きるほど、俺はますます空っぽで無価値な人間になっていくのかもしれない。そいつは間違ったことだ。そんな変な話はない。その流れをどこかで変えることはできるのだろうか?(海辺のカフカ)

内田百閒
  • 猪の肉は戦争前に二三度、外から送つて貰つた事があるので初めてではないが、今度は肉のかたまりに添へて、毛の生えた猪の足頸が同じ箱に入れてある。気味が悪いから、この足頸でだれかを撫でてやらうと思つた。(猪の足頸[御馳走帖(中公文庫)収蔵])

  • 文章は申すまでもなく言葉を綴る。言葉を文字に託してそれを綴って文章とする。その言葉と云うものはこれは我我人間の一番根本的な大事な天賦であって、言葉を離れては物事を考える事も出来ない。あらゆる思考感情、もっと簡単な感覚でも、例えば焼け火箸にさわって熱いと思って指を引っ込める。指を引っ込める反射運動は言葉ではありませんが、熱いと思えば既にそれは言葉である。言葉を離れては感覚も我我は経験とする事が出来ない。(作文管見[百間随筆Ⅰ(講談社文芸文庫)収蔵])

夏目漱石
  • 僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据る事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が儼存していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。(虞美人草[「夏目漱石全集4」(ちくま文庫)収蔵])

  • 「自活の計に追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、正にこの相撲の如く苦しいものである。吾等は平和なる家庭の主人として、少くとも衣食の満足を、吾等と吾等の妻子に与えんがために、この相撲に等しい程の緊張に甘んじて、日々自己と世間との間に、互殺の平和を見出だそうと力めつつある。戸外に出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの中に殺伐の気に充ちた我を見出すならば、更にこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、脊の汗を想像するならば、最後にわが必死の努力の、回向院のそれの様に、一分足らずで引分を期する望みもなく、命のあらん限は一生続かなければならないという苦しい事実に想い至るならば、我等は神経衰弱に陥るべき極度に、わが精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまで言いたくなる。かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中は悉く敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友もある意味に於て敵であるし、妻子もある意味に於て敵である。そう思う自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある。疲れても已め得ぬ戦いを持続しながら、煢然として独りその間に老ゆるものは見惨と評するより外に評しようがない。」
    「血を吐いた余は土俵の上に仆れた相撲と同じ事であった。自活のために戦う勇気は無論、戦わねば死ぬという意識さえ持たなかった。余はただ仰向けに寝て、纔な呼吸を敢てしながら、怖い世間を遠くに見た。病気が床の周囲を屏風の様に取り巻いて、寒い心を暖かにした。」
    「四十を越した男、自然に淘汰せられんとした男、さしたる過去を持たぬ男に、忙しい世が、これ程の手間と時間と親切を掛てくれようとは夢にも待設けなかった余は、病に生き還ると共に、心に生き還った。余は病に謝した。又余のためにこれ程の手間と時間と親切とを惜まざる人々に謝した。そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打壊す者を、永久の敵とすべく心に誓った。」(思い出す事など 十九[文鳥・夢十夜(新潮文庫)収蔵])

  • 犬の眠りと云う英語を知ったのは何時の昔か忘れてしまったが、犬の眠りと云う意味を実地に経験したのはこの頃が始めてであった。余は犬の眠りのために夜毎悩まされた。漸く寐付いて難有いと思う間もなく、すぐ眼が開いて、まだ空は白まないだろうかと、幾度も暁を待ち侘びた。床に縛り付けられた人の、しんとした夜半に、ただ独り生きている長さは存外な長さである。―鯉が勢いよく水を切った。自分の描いた波の上を叩く尾の音で、余は眼を覚ました。(思い出す事など 二十二[文鳥・夢十夜(新潮文庫)収蔵]

  • いよいよ現実世界に引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸滊の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅(※注)にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢である。憐むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に嚙みついて咆哮している。文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛からしめたる後、これを檻穽の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨めて、寝転んでいると同様な平和である。檻の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人に与えた。余は汽車の猛烈に、見界なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様を見るたびに、客車のうちに閉じ籠められたる個人と、個人の個性に寸毫の注意をだに払わざるこの鉄車とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。おさき真闇に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。(草枕[夏目漱石全集 3(ちくま文庫)収蔵])
    ※注:原文の「擅」のつくりの「旦」は「且」となっている。

遠藤周作
  • 殺した、殺した、殺した……耳もとでだれかの声がリズムをとりながら繰りかえしている。(俺あ、なにもしない)勝呂はその声を懸命に消そうとする。(俺あ、なにもしない)だがこの説得も心の中で撥ねかえり、小さな渦をまき、消えていった。(成程、お前はなにもしなかったとさ。おばはんが死ぬ時も、今度もなにもしなかった。だがお前はいつも、そこにいたのじゃ。そこにいてなにもしなかったのじゃ)(海と毒薬)

  • だが俺自身だって、どれほど手にもった手術皿の中の肉塊のことを考えただろう。赤黒くよどんだ水に漬けられたこの褐色の暗い塊。俺が怖ろしいのはこれではない。自分の殺した人間の一部分を見ても、ほとんどなにも感ぜず、なにも苦しまないこの不気味な心なのだ。(海と毒薬)

  • 折戸の人生には何の迷いもなかった。それはハイウエイのように一直線に真直ぐにのびていた。彼には人間の悲しみなどは一向にわからなかった。うすよごれた人間の悲しみ。ごみ箱で野良猫が食べものをあさり、病室ではまた老人が痛みにたえかねて声をあげ、勝呂がそれを慰めながら、モルヒネしか打てぬ苦しさを嚙みしめているような、人間の悲しみを彼は知らなかった。(悲しみの歌)

  • 選ぶということがすべてを決定するのではない。人生におけるすべての人間関係と同じように、我々は自分が選んだ者によって苦しまされたり、相手との対立で自分を少しずつ発見していくものだ。(留学)

志賀直哉
  • 「君自身がそうだと云うより、君の内にそう云う暴君が同居している感じだな。だから、一番の被害者は君自身と云えるかも知れない」
    「誰れにだってそう云うものはある。僕と限った事はないよ」
     然し謙作は自身の過去が常に何かとの争闘であった事を考え、それが結局外界のものとの争闘ではなく、自身の内にあるそういうものとの争闘であった事を想わないではいられなかった。(暗夜行路(後篇))

太宰治
  • 汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ!(人間失格)

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