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久々に映画の話;自分の価値をどう定めるか

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最近は本を読むことが多いこともあって、あんま映画を観ていなかった。 久しぶりに映画を観た話を。 「おんなのこきらい」 https://eiga.com/movie/81389/ 監督は加藤綾佳、主演は森川葵。 数年前に初めて観て、その後も数度鑑賞している。 森川演じる主人公キリコは、徹底的に媚を売り、男にはちやほやされ女には嫌われる「かわいい女の子」。かわいくあることに全てを費やし、かわいい食べ物を食べるのが大好きで大量に食べるものの、体型を維持するためにそれを全て吐く摂食障害者。 齢二十九を迎える男がどうしてと思われるのかと思うかも知れないけど、私は主人公キリコにすごく共感を覚える。 徹底してイメージを作り上げて生きていくことが生む自分の中の空虚さ。 イメージに頼って生きて、そのイメージが崩壊したとき・維持できなくなったときに自分の人生が迎えるカタルシス。 キリコにはずっと好きで尽くしていた男がいた。その男のためにずっとかわいくあり続け、その男にはそういうところが面倒くさいと振られ、別の女とくっつくことになる。その女に言われる一言。 「おばけみたい」 自分は、皆に好かれるために、この世界でやっていくためにそのイメージを纏ってきたのに、気が付いたらそのイメージの内側に何もなくなっている。人生の全否定である。 キリコの人生が崩壊したときの感覚が私にもよくわかる。 私ももう、自分のイメージをコントロールして生きていることに疲れてしまった。イメージのコントロールが生む空虚さに耐えられなくなってしまった。 恐れることも怒ることも、自分に許すことができずにオトナになってしまった。 表では、冷静で柔和で人の良いイメージを作りながら生きてきた間に、どんどん自分の中の自分の価値がなくなっていった。それを埋めるために必要なものはそんじょそこらの欲求では敵わない。 キリコは、それを埋めるためにかわいいものを食べ続け吐き続けていた。私も、それに似たことを色々とやりながらここまで生き延びてきた。 そんな生き方は保つ訳がない。その空虚さを埋めるべく使われるものの全ては、人間の身体を健全に保つようなものではない。過食症をもつ人は、口にしたものを全て吐くから、体内を激しく傷つけるし、薬を飲んでも吐くが故にそれが効かないとも聞く。 この映画の訴えかけることは、自分の価値を自分でどう定めるか。本当の...

楽しむこと;表現すること

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  私は音楽が好きだ。 それはたぶん間違いがない。だけど、それが表現することと交わると、そこに迷いが生まれる。 私にとって、表現することは非常に重要な命題である。 私は、自分の口を使って自分の思っていることをうまく言い表せない。自分の頭の中に広がっている世界を、誰かに理解してもらいたいという激しい熱がある。だけど、それをうまくできない。頭の中には伝えるべき言葉が流れているはずなのに、伝えようと口を開くとその言葉はどこかに消えてしまう。婉曲した表現ではない。本当に、消えてしまうのだ。伝えたい気持ちはたくさんあったはずなのに、そのほとんどは私の中で燻ったまま層を成してきた。 だから、私はどうにかしてそれを伝えるられないかとその術を必死に探してきた。 特に執着してきたのは、音楽だった。 高校生の時、初めて曲を書いた。私が世界に対して引っ込むことを覚え始めたころだった。私は、口を噤むことが増えたかわりに、曲を書くことで私の頭の中のものを表すことができるかもしれないとずっと期待してきた。 最近、曲をアコギでカバーしてアップロードし始めたのには、このことに関連したいくつかの理由があった。 一つはギターをうまくなりたいと思ったことである。曲を書き始めたのは17歳のときだったが、アコギを始めたのは15歳のことだった。しかも、その当時私の本職はエレキベースで、スラップ習得のため必死に練習をしていた。力の加減がわからなくて、高音弦をよく切った。どんな力でプルしていたのか、今となったらさっぱりわからない。 ともかく、そんなだから私は、ギターの習練が多分足りない。それで、色んな曲を練習しないといけないと思ったのが一つの理由である。 もう一つは、自分の感じている世界を誰かと共有したいからだ。私にとって、とても大切ないくつかの曲がある。私の代わりに喜び、私の代わりに悲しみ、私の代わりに怒り、私の代わりに嘆いてくれる音楽がある。そんな音楽を誰かと、特に私が繋がりたいと願う人達と、共有したいという強い熱望がある。私がどんな音楽を聴いているのかということを隈なく誰かに伝えることができたら、おそらくそれだけで私のほとんど全てを伝えることができる(少なくとも私はそう信じてきた)。それは、なんて素敵なことなのだろうとずっと夢想している。 これがもう一つの理由だ。このブログを始めたのも、一番の根っこ...

いい映画を観てころっと気分がよくなった話

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今週は絶不調だ。 月曜日にちょっとしたことが自分の心のかなり厄介なところに引っかかってしまって、そこから悪循環に入ってしまった。まだ循環から抜け出たかはわからない。持病みたいなもので仕方ないのだろうなと思うのだけど、こうなったときに自分で抱えきれなくなってSNSに垂れ流す癖をどうにかしたい。それが嫌だったから1回、SNSアカウントを全部削除したのだけど。。。 今日、とりあえずこんなことを落ち着いて書ける程度にはメンタルのバランスが戻ってきた。しかし、数時間前までは頭はすごく悪いところをずっとぐるぐると周回し続けていて、とりあえずちょっと落ち着いたのは、たまたまいい映画を観ることができたからだと思う。 自宅に帰って、深夜バラエティの録画を流しながらコンビニ弁当を食べて、そのあとはAmazon Primeで適当に映画を流しては止めて、流しては止めてを繰り返していた。なんとなく冒頭でこれじゃないという感じが濃厚で、見ていられないものが何本か続いたし、良さそうに思えた何本かは、その時間に見始めるには長すぎた。何もしないでいるとまたろくでもないことばかり考えてしまいそうで、自分の頭がとりあえずそこから剥がれれば、という目的だけだったから、適度な長さであまりにひどい映画でなければ、何でもよかった。 そして辿り着いたのが、2013年アメリカ公開(2015年日本公開)の 「Begin Again(邦題:はじまりのうた)」 ( 映画.com )。 見始めて10分のうちに、「あ、これはあたりだ」と思った。何より、音楽にフォーカスした映画で音楽を気に入る場合、それで外したことは(たぶん)ない。無論、音楽にフォーカスした映画で音楽がくそだったら、間違いなくストーリー無視で嫌いな映画になる。 とにかく、冒頭の猥雑なライブハウスで主人公のKeira Knightleyが嫌々ながらに歌いだすシーンがよかったし、そこから前半のストーリーの重ね方も好きだった。 そして、何より中盤のみんなで音楽楽しんでます感がたまらない。音楽を楽しんでいる景色が悪かったためしがない。 ストーリーはそれほど凝ってないと思うし、見方によっちゃありがちかなとも思う。個人的にはそんなところもスペクタクルに頼らないという意味で好きだった気がするし、まあ...

日記;千と千尋の神隠しを観て勇気について考えた話

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  引き続き夏休み。 昨日は電車とバスを乗り継いで埼玉南部の映画館まで来て「千と千尋の神隠し」を観た。 本当は私の居住市内でも公開していたのだが、公共交通機関でのアクセスがひたすら悪いところだからという理由で電車で来れる埼玉まで来た。前回も書いた通り、電車で移動するのが大好きな人種である。 そして、車社会を自転車で生きているへそ曲がりでもある。 こうもうろちょろするのが好きな人種は、コロナ禍の世の中では気を付けないといけないとも思う。まあ、元々人混みは嫌いだし、人が集まるような理由がない通りをぶらぶらするのが好きな身である。なので、それほど危険はないのではないかと思っている(大体のお話では、こういう奴がいちばん危ない。気を付けます)。 して、「千と千尋の神隠し」である。素晴らしい映画だった。もうその一言。2001年の公開当時は小学校4年生だった少年も29歳のおっさんになった。 29歳は断じておっさんではないと思うのだけど、今週のジャンプで『「28をおっさんと思ってないあたり…」「闇が深いですね」』(田村隆平「灼熱のニライカナイ」より)と言っていたからそういうことなんだろうと思う。ジャンプを読んでいても、少年認定はしてくれないようだ。 ともかく、何だろう、この歳になって改めて観てもすばらしい映画だった。むしろ、細かい描写に引き込まれ、子供ならではの真っ直ぐな勇気とか優しさとか、そういうものを考えた。 私は映画を観ると登場人物に対して過度に自己投影する質なので、千尋とその家族が神隠しに逢い両親が豚になってしまうシーンでは、29歳の比較的肩幅の広い男が結構びくびくしてしまった。展開がわかっているからこそ、「ああ、やめとけよう。。勝手に食べるなよう。。」などとおびえてしまう。実にかわいいものだなと自分で思う。 それが何歳だか知らないが、まだ小学生であろう千尋が、恐れや困惑をすぐに乗り越えて真っ直ぐに立ち向かっていく。 なんだかおっさん、勇気をもらってしまう。 いや、まあアニメの話だし、そう考えれば子供向けアニメってそういうものな気もするけれど、やっぱりそこら辺はさすがジブリなのか、映画を観ている間になんだか自然と勇気をもらってしまっていた。 どうもこう、頭がとっ散らかりやすい身である。あれやこれやと考えが盛んに動き回り、不安や恐ればかりが大きくなり、結果動けないこと...

雰囲気嗜好;A Rainy Day in New Yorkを観て

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  こんにちは、RTです。 今日は、住んでいる街のシネコンでウディ・アレン監督の 「A Rainy Day in New York」を観てきた。鑑賞後の気持ちがなんだかよかったので、簡単な感想とそこからなんとなく自分自身について考えたことを記録しておきたい。 映画の情報はこちらから。 映画.com「レイニーデイ・イン・ニューヨーク:作品情報」 https://eiga.com/movie/92925/ ちなみに、監督のウディ・アレンは#MeToo運動でちょっとごたごたあった(Wikipedia等で読む限り、90年代に訴えられたが、司法の場では罪には問われなかったとのことなので、少なくともこれら事実に基づく限りは誤解である模様)みたいで、公開の先送りとかがあったみたい(→  リンク )。 それはさておき、映画はとてもよかった。ジャンルとしては「ロマンティック・コメディ」というものに振り分けられるみたいだが、たしかにそういう感じだった。コメディとはいえ、手を叩いて大爆笑が起こるような映画ではない。雨のニューヨークを舞台としたおしゃれな空気のなかで、一癖二癖ある登場人物たちがちょっとした出来事に巻き込まれる。 ウディ・アレン監督、と大々的に書いたものの、私がこれまでに観たウディ・アレン作品はたぶん「Midnight in Paris」だけだと思う(「Wonder Wheel(邦題:女と男の観覧車」もなんとなく観た気はするのだけど記憶が曖昧。なんか観覧車が出てくるしゃれたヨーロッパ映画みたいのを観た記憶はあるのだが、大学生の時だった気がしたので公開2017年となると違う気もするが、どうだろう。あれ、本題関係なくもやもやしてきた。明日見よう。以上、長すぎる補足)ので、偉そうに今回の作品は、、とか言うわけには行かない。 ただ、Midnight in Parisと同様に今作でも、流行に乗れない偏屈な男と、必要以上に現実的(ときに世俗的)な恋人がうまくいかない、という構図だった。 内容を思い出してみると、まあ正直、ありがちな設定だと思う。実際、主人公も恋人も、キャラクター設定から逸脱した意外な行動などはないし、展開も割とお約束な感じではある。 こう書いてしまうと、あんまり見たいと思わない人の方が多いかもしれない。だけど、ここら辺は、人の嗜好によるところが大きいと思...

幸せの風景;La La Landを観た

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  こんにちは、RTです。 久々に「La La Land」を観た。やっぱり、音楽がふんだんに使われた映画って、それだけで幸せ。特に、冒頭の渋滞するハイウェイでの「Another Day of Sun」のダンスシーン。よく考えてみたのだけど、幸せってなんとなくこういうことなんだろうなと思った。個人的には、The Greatest Showmanの「From Now On」も良いのだけど(あー、観たくなってきた)。 ちょい役でいいからこの一員になって踊りたい。というか役じゃなくていいから、日常の中でこんなシーンに出会いたい。丸の内のサラリーマン街とか、渋滞するお盆の東名高速とかで、こんな光景に出会ってみたい。とも思ったのだけど、これを日本人がやるとすごく胡散臭くなりそうにも思う。 にしても、よい映画だ。残念ながら、そんなに映画について見識が深いタイプじゃないので、絶対評価しかできないのだけど。 まずはとにかく、音楽がすごくいい。ハイテンポでのれる曲から切ない曲まで、普通にサントラがアルバムとして楽しめる完成度だし、ラストシーンでそれぞれの曲が一本のストーリーとして一つの曲の中に描かれるのも、感動的。 The Greatest Showmanの曲もこの映画の作曲と同じ人、と思ってたのだけど、Wiki情報だと、La La Landでほとんどの曲の作詞を担当していた人(Pasek and Paul)がThe Greatest Showmanの作曲を担当したらしい。なるほど。 どっちの映画も音楽がすごく良い訳だけど、ダイナミックで人を沸き立てるようなThe Greatest Showmanの音楽と比べて、La La Landの音楽はストーリーとの関係もあり、ジャズをベースにしている。しっとりしたジャズからきらびやかなジャズまで良曲がたくさん出てくる。 劇中、セブがミアの「ジャズはリラクゼーション音楽」という趣旨の発言を、ライブバーで「この演奏を観てみろよ」と教えているシーンがあった。 実は私も大学に入学して一年半だけだがジャズ研に在籍したことがある。そのとき、ちょっと臭い部室でセッションに参加した。私は高校時代にパンク、メタルと好きになり、それから大学でジャズに触れた。そういった、私が好きな音楽を比較すると、演奏者が演奏の面で一番暴れているのは、ジャズじゃないかと思う。...

「音楽」を観た

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  こんにちは、RTです。 私が住んでいる茨城県の緊急事態宣言が解除され、映画館が再開した。私は映画も好きだし、映画館も好きだ。 20歳くらいの頃は、現実からの逃避先としてよく映画館を使っていた。映画館にいる間は、誰かからのメールや電話も受けとる必要はないし、情けない自分自身の生活に目を向ける必要がない。2時間前後の逃避行は、私の人生に不可欠だった。 そんなこともあって、定期的に映画館に行きたい欲求に駆られる。新しい生活様式とはいえ、多少自由な行動が許されるようになったので映画館に行きたくなり、近辺の映画館で上映されている作品を調べてみた。 そうしたら、となり街の映画館でアニメーション映画「音楽」が放映されているのがわかり、県内なのでいいだろうと観に来てみた。 この「音楽」という作品は漫画原作で、今年の1月に公開された。私も、記録を見返したら1/12に新宿で鑑賞していた。今回これを選んだ理由としては、作品自体すごく良かったという記憶もあったし、また、郊外のショッピングセンター内の映画館にしては、(自粛後でおそらく放映するものはなかったとはいえ、)渋めのチョイスにうれしくなったというのもある。 それで、作品についてだが、2回目にこの映画を観て改めて思ったのは、抜け目なく面白かったということ。登場人物の会話の間もいいし、テンションもちょうどいい。それでいて、主役の不良3人組が初めて音を鳴らしたときの、何とも言えない高揚感は、かつてバンドをやっていた自分としても、身に覚えのあるものだった。 その、最初の楽器を鳴らすシーンがすごく好きだ。何ともない話の流れでバンドをやろうと言い出す主人公、それを受けて不良3人組は音楽室から楽器を盗んで主人公宅で音を出すのだが、そのチョイスが結果的にベース×2、スネア、フロアタムのみというなかなかのチョイス。それで、何もわからず家で音を出して「これ、やばいね」と。 なんて純粋なロックンロールなんだろう。まあ、盗んでやるなよとは思ったけど。でも、なんかこう、8ビートの簡単なフレーズの練習を始めるよりも前の、人生で初めて楽器を抱えて、それを鳴らして、それが音楽になったときの、その感動を思い出した。 何といえばいいんだろう。 果てしない感動と言っても大袈裟じゃないし、世界の創造主になったと言っても、そんなに大袈裟じゃない気がする。いや、大袈...

スワロウテイルを観た

  こんにちは、RTです。 5/24に映画「スワロウテイル」を観た(確か二度目)ので、記録として。 とりあえず、すごい映画だなあと改めて思った次第。今更かよというのは置いておいて。 映画の世界観がめちゃくちゃしっかりしている(まずはとにかくこれ) 若かりし頃の渡部篤郎さんがめちゃくちゃクール(直後に消費者金融のCMを観てなんかあれ) 女の子(アゲハ;女優の伊藤歩さん)は、後にサンボマスターの曲に何度か登場するあの女の人らしい。観賞後に「世界をかえさせておくれよ」を聴くと、アゲハが大人になったのを聴いたみたいでうれしくなってしまう(年齢的には私の11歳上)。そのあと、Googleで画像検索してみたらちゃんとした年上のきれいな女優さんだったのでなんだかこんなこと思った自分が恥ずかしくなる Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜など、改めて名曲 とりあえず、すごく良かったので定期的に観ようという備忘録として。 Amazon.co.jp: 「MONTAGE」 by YEN TOWN BAND Amazon.co.jp: 「サンボマスター 究極ベスト」 by サンボマスター