たりないひとたち

 こんにちは、RTです。

ここのところはあんまり調子はよくないのだが、そういう話をどこまでこのブログでするかなあと逡巡している。まあ、つまるところ私は筋金入りのメンヘラ男なわけだが、それはさておき、今日は好きなお笑いの話をば。

5/28深夜に「たりないふたり」という番組が公開された。

これは、南海キャンディーズ山里亮太さんとオードリー若林正恭さんによる同名ユニットによる番組で2人で色々なことについて会話をして、その内容に沿った漫才を披露する、という趣旨。もちろん2人のかけあいや漫才とか、そのなかでの2人の天才的なアドリブとか、本当にお笑いとして面白いし、この人たちの頭のなかはどうなっているのだろうといつも不思議に思う。

中でも、私がこのユニットのファンになったのは、この2人のトークの内容にあまりにも共感できたからだ。

タイトルにもあるとおり、この番組では2人が、自分たちの「たりない」部分を取り上げてトークを繰り広げる。社交性とか恋愛とかテレビが苦手とかそんなもろもろ。

で、私がはじめてこの番組を観たのは大学生のときで、この番組を観てすごく安心したのを覚えている。シーズン1の放送時期を調べたら2014年、つまり私が大学4年の年であった。

私は大学院まで進んだので大学4年といえどすぐに社会人になるわけではなかったが、研究室配属の後、少しずつ自分の小さな世界より外の人たちとの交流が始まり、自分の社会人としての能力の低さや、社会人的な振る舞いをすることがどれだけ苦手であるかを痛感していた。要は、飲みニケーション的なあれだ。

みんなが当たり前にやってることが全然うまくできない。

私は、とかく飲み会が苦手だ。こう話し始めると色々言ってしまいたいところだが、それはこのブログの趣旨に反するのであまり言わないようにする。だが、飲み会が連想される発言とか空気感とか諸々を見ると、気持ちが落ち着かなくなる。そういうようなところだ。

そんなこともあって、この、たりないふたり、という番組を初めて観た時、最初に抱いた感覚は「安心」だった。

自分より一回りほど上の、しかも、自分よりもっとコミュニケーション能力が高そうな業界にいる芸人さんが、自分と同じようなことを同じような熱量で考えていて、すごくほっとした。

自分にとって、長い間、飲み会を楽しめないとか、そういう社会に溶け込めないという事実に対しては、劣等感ばかりわいてきた。楽しめない自分、溶け込めない自分の能力不足が問題で、生きていくにはどうにかしていかないといけないと思い込んでいた。

それが、あんなに大きな声でそれを主張している人たちが出てきて、本当にほっとした。月並みに言って、「独りじゃなかったんだ!」と、そういうこと。

これ以来、この人たちのファンになり、遅れて数年後、深夜ラジオも聴くようになった。昨年のライブも、ライブビューイングで観たのだが、本当に大興奮だった。

昨年は、オードリーの2人と、山里さん、あと話の流れにはあまり関係ないけど、同じく好きな芸人さんであるバカリズムさんと、相次いで結婚された。

本当におめでたいと思うし、若林さんの結婚発表など、長すぎる伏線やら、たりないふたりライブでの発言やら、色々重なってなんかすごくかっこよかった。オードリーのANNをタイムフリーで聴いていて、途中で眉をひそめてネットニュースを調べて、もう一回頭から聞き直した身である。

さておき、年代が全く違う自分がこんなこというのは申し訳ないのだけど、たりないふたり初回放送のころからのお二人の考え方の変化とか、そういうのも色々と考えさせられるし、何よりも最近は結婚が現実的なものというか、こういう社会にうまく適合できないような人間でも、もしかしたら結婚とかが将来にあるのかもなと思えた(お二人は際立った才能あってのこと、とも思うのだけどそれは置いておく)。

昨年は、自分にとっても、これまでの生き方でどこにも行けなくなってしまい、色々なことを見直さないといけなくなっていたこともあって、何というか、自分の中の世界の見方の一時代が終わった感覚もある。

決して、今も飲み会が好きになったわけでも、立派な社会人になれたわけでもない。

むしろ、最近はこれに諦めがついた。ここ1年で酒を飲まなくなった。もう、酒を飲まない変なやつとか、社会に溶け込めない変なやつとか、そんな評価でいいやと(誰にもそんなこと言われてはいないのはわかっている)、そんな諦めが、完全ではないのだが、少しずつ身に付いてきた気がする。

誰かにそれを言われることよりも、それを言われるかもしれないとびくついていたことが問題なんだと思う。変な奴=「たりないひと」として生きられるなら、ちょっとは生きやすくなりそうな気もする。

余談だが、ついふた月ほど前に、通っている精神科で、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断が出た。それほど重度ではないとは言われたが、小学生の頃からずっと自分に感じてきた「たりない」部分はこれだったのかと、少しすっきりした。症状を落ち着ける薬を服用しているものの、それほど生きるのが楽になったわけでもない。ただ、なんとなく、「たりない」まま生きていく意識はできてきた気がする。決心とか覚悟とかはまだ遠いのだけど。

とにかく、たりないふたりは私にとって、お笑い番組としても、似たような悩みをもつ人間としても、すごく好きな番組。これが今年はあと3回も公開されるというのはとても楽しみです。

ちなみに、世界一のDJと日本一のラッパーによるヒップホップユニットCreepy Nutsの「たりないふたり」という楽曲は、この番組に影響されて作られて、昨年2019年のたりないふたりライブで正式に登場したという関係。そんなCreepy Nutsは私とほぼ同い年で、彼らの曲々も、「たりないふたり」としての等身大の刺さる歌詞と緻密な韻、ロックとかジャズが好きな人でもかっこいいと思えるトラックも含めて大好き。



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