不安定なものに惹かれる

こんにちは、RTです。

昨日の記事で「踊ってばかりの国」というロックバンドのことを取り上げた。それで、知人に「踊ってばかりの国ってバンドが好き」という話をしたら「Yogee New Wavesに似てるね」と言われて、うまく応えられなかったことをふと思い出したので、自分がこのバンドのどこに魅力を感じたのか、考えたことを書き留めておく。

先に書いておきたいのだけど、「一緒にするなよ!」という話をしたいわけではない。改めて聴いてYogee New Wavesもすごくおしゃれな曲を作るなあと思ったし、結構好きだ。たしかに音楽的な基礎として似通っているところはある気がする。とその上で、それでも自分が直感的に踊ってばかりの国にこそ惹かれる理由はどこにあるのだろうという話がしたくて、この記事を書いている。

ちなみに、「似ている」という切り口で音楽を探すのは実は苦手だったりする。途中で飽きてしまうからだ。私の音楽の探し方はランダムな出会いを求めることの方が多い(たぶん)。それで、できるだけ、まだ聴いたことのないタイプの音楽を求める。なので、「あれ聴いたなら、こっちも聴いた?」と言われると大体そっちは聴いていなくて、見栄をはって「え?ああ、まあ何曲かは聴いたよ」と応えてもやもやした感じになる。だからといって奇をてらった音楽がいいかといえばそういうわけでもなく、そこの塩梅が難しい。

それに、バンドの精神というか、本質的なところが似ていて好きになることも結構ある。以前取り上げた北海道出身のバンド「ズーカラデル」を初めて聴いたときは、「スピッツロックの後継者だ。。」と思ってすごくわくわくしたし。

なかなか一概には言えないが、要は「これと似ているからあれも聴こう」とはならないという話。結果的に似たアーティストを好きになってるのはあるものの。

閑話休題。

踊ってばかりの国というバンドは2008年に結成されたらしい。その後、2009年にファーストミニアルバムを出している。記憶に間違いがなければ、大学生か大学院生のころには(2010~2016なのでかなり不正確)、音楽ナタリーなどでよく名前は聞いていた。

が、当時は何となくバンド名が気に入らなかったので、聴かなかった。たぶん、自分の中でスピッツみたいなシンプルなバンド名こそ至高、という考えがまだ根強かったんだろう。「の」という助詞が気にくわなかったのかも知らない。なんて、バカな考えだろう。この変なこだわりで私はどれだけの機会を逸してきたのか。

しかし、私が初めて、踊ってばかりの国、というかそのボーカル下津光史の魅力にはまったときのことは、今もしっかりと覚えている。

それは、渋谷のTOWER RECORDSを散策していたときのこと。今生きている素敵なロックバンドと出会うことは、自分にとってすごく重大な命題だったりするので、たまに時間をかけて徘徊する(重大な命題なのに、怠惰や思い込みで機会を逸し続けてきているのは純粋に恥ずかしい。しかも、アラサーになってきて、自分の持っている総熱量みたいなものが限られてきてから、輪をかけてきっかけがつかみづらくなってきているのはどうにかしたい)。

とにかく、そのときは日本のロックバンドを紹介しているコーナーを歩いていた。渋谷タワレコの店員さんレコメンドはなかなかいい出会いがあるのでじっくり吟味していたのだが、ちょうどその時期に発売され、1コーナーを使って大々的に宣伝されていたのが、GODというバンドの「DOG」というアルバムだった。

先に言ってしまえば、このGODというバンドは、踊ってばかりの国のボーカル下津光史の別プロジェクトとなる。

それで、このDOGというアルバムを聴いたときに、私はボーカルの声にストレートに衝撃を受けた。少なくとも、自分の聴いてきた音楽のなかで、この人と同じタイプの声をほとんど聴いたことがなかった。


「変な声」というわけではない。最近のロックバンドを聴いていると、声質の特徴が強いけど訴えるべき熱がこちらに届いてこなくてなかなか好きになれない、ということがあるのだけど、この人の歌声は他のボーカルと比べると特徴的でありながら、その熱はダイレクトに届いてくる。

GODというバンド自体のサイケデリックな魅力にもはまり、そこから下津光史のメインプロジェクトでもある踊ってばかりの国を聴き始めた。

割とファンになったのが最近なので、まだライブには一度しか行っていないのだが、そのライブもすごく印象的だった。空間系エフェクトが「ガンガンにキマっていて」、音楽に任せて身をゆだねて踊りまくっていたら、腰をやってしまった(そういう意味での印象的ではなく、本当に最高のライブだったという話です)。

これまでに聴いてきた曲のなかでも印象的な曲がいくつかある。

たとえば、「五月雨」(アルバム「君のために生きていくね」)。いや、こういう曲から紹介すべきではないのかもしれない。

だけど、とにかく、気怠い雰囲気と「雨はこのまま降り続いて 帰り道を消してしまう 当てにならない天気予報と 君の心に五月の雨」というシンプルな歌詞がすごくいい。大好きな曲なのでぜひ聴いてほしい。


本当にきれいな歌詞だ。

私が踊ってばかりの国のきれいな曲(前記事でふれた「光の中に」もそう)に惹かれるのは、下津光史という人間の不安定さがあってこそだと思う。

私がこれまでに聴いた日本語詞の曲のなかで最も衝撃的だったのが「island song」(アルバム「踊ってばかりの国」収録)。

ライブ音源だが、オープニング後にすぐ始まるので、ぜひ聴いてほしい。この曲の歌詞を引用したい。

またしても 走り出した

悪魔の顔に ゲロを吐いて

好きな場所 泣ける唄

君のカンザシ 陽に揺れる

踊ってばかりの国「island song」

ハードコアパンクとか、デスメタルとかを探ればいくらでも、汚い言葉で歌われた歌は見つけられると思う。この曲は歌詞のこの部分だけ拾うと強烈に見えるのだが、全体としては、ミドルテンポの演奏と叙情的でよく作りこまれたすごくきれいでセンチメンタルな詞が印象的だ。本当に、日本語詞を書くバンドマンの中でもこの人の書く歌詞の深さは大好きだ。そんな豊かな表現を楽しんでいる中、まっすぐな力強い(そして、独特の脆さを感じる)ボーカルの口から「悪魔の顔に ゲロを吐いて」と歌われる。これがすごく印象的。

これまでに、おそらく多くのロックンローラーたちが、悪魔に中指を立てたり口論したり、悪魔と踊ったり、悪魔と友達になったり、あるいは悪魔を憐れんだりしてきたと思う。だけど、たぶんだけど、悪魔の顔にゲロを吐いたのは、下津光史だけじゃないかと思う。

中指を立てたり口論したりというのは、自分の方にさほどダメージがあるわけではない(それなりに疲れるけど)。一方、ゲロを吐くというのは自分の身体へのダメージがすごく大きいのじゃないかと思う。そうまでしても悪魔に一矢報いないと気が済まないというところを思い浮かべると、とても自虐的で痛々しいと同時に、私としてはそこまで必死に抵抗しているその様に、強いシンパシーを感じるのだろう。と勝手な解釈をしてみる。

とにかく、真っ当な精神状態の人間は、悪魔におびえることはあっても、悪魔に立ち向かおうと思うことはあっても、悪魔にゲロを吐こうなどとは思わないはずだ。私は、そんな不安定な精神のことは少しだけわかる気がするし、だからこそこのバンドに惹かれるのだと思う。

こういう、人間としての非常に不安定な部分に強く惹かれて私はこのバンドを好きになり、こういう人が歌うからこそ、「光の中に」というすごく優しい曲の中にも下津光史の弱さや脆さを感じ、おそらく同様の曲を他のアーティストが歌う以上に心を揺さぶれるのだと思う。もちろん、曲の完成度、日本語詞の表現の深さやクオリティの高さがあってのことだというのは言うまでもない。

 

こんな風に、私は踊ってばかりの国や下津光史のもつ不安定さにこそ、強く惹かれるのだろう。

という話をそれほど深い仲でもない知り合いにするわけにもいかないので、「Yogee New Wavesと似てるね」と言われると、「え、ああ、うん、たしかにたしかに」みたいな感じになってしまう。音楽的には否定するような話でもないから。

と書いてみたら、スピッツ好きの私が、「ミスチルはよく聴くんだけどねー」みたいに言われて反発してきたのも似たような気がする。微妙な違いが、実は私にとっては、すごく大きかったりする。

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