観覧車から連想して

先日、ウディ・アレン監督の「A Rainy Day in New York」を観た感想を書いた記事のなかで、この監督の過去タイトル「女と男の観覧車(Wonder Wheel)」を観たかもしれないという話をした。記憶が曖昧だったので、記事を書いた後に早速観たのだけど、残念ながら私の記憶にあったものとは違った。私の頭の中には、女性が観覧車の中に取り残されている情景が絵として残っていたのだけど、この話では主人公の哀れな女性が観覧車に乗り込むシーンはなかった。

2020/7/23記事「雰囲気嗜好;A Rainy Day in New Yorkを観て」

それでは、私の頭にあるのはなんだったんだろうと気になって仕方がなくなり、色々と言葉を変えながらネット検索をした。結果、おそらくそれだろうと思われる(実際そうだった)ものが見つかった。それが、村上春樹「スプートニクの恋人」だった。

「スプートニクの恋人」は村上春樹小説としては、中編といっていいくらいの長さ。単行本で購入すれば持ち運びにちょうど良い厚さだと思う。さっそく久しぶりに読んでみた。

結果から言えば、私の記憶にあったのは、この小説の中に出てくる描写だった。登場人物の回想の中に、スイスの小さな街でその女性に起こった不思議な出来事が出てくるのだが、それが、この観覧車の出てくる情景だった。

これについては、やっと自分の頭にあった光景が何だったのかわかり、すごくすっきりした。と同時に、この光景が出てくることを忘れていたということはつまり、何度も読み返している村上春樹小説が多い中でこれについてはほとんど読み返していなかったということでもあり、久々に読み直すいいきっかけともなった。

たぶん、この小説を読み返してこなかった理由は、村上春樹の小説にしてはすごくあっさりしているからだろうと思う。この小説も、もちろん、特有の言い回しであったり現実から少し位相をずらしたような世界観であったり、そういった村上春樹感は健在なのだが「海辺のカフカ」や「1Q84」ほどの濃密さはなく、割とすっきり読めるのではないかと思う。

また、読み返してみて、これまでにどこかで出会った記憶のあった言葉だけど、どこで出会ったかは忘れてしまっていた言葉も出てきて、それを改めて拾いなおせたのもよかった。せっかくなので、引用しておく。

「まず気持ちを落ち着けるんだよ。たとえば――数を数えるとか」

「ほかには?」

「うーん、夏の午後の冷蔵庫の中にあるきゅうりのことを考えてもいい。もちろんたとえばだけど」

村上春樹著「スプートニクの恋人」(講談社文庫)

語り部たる主人公と、物語の中心となる女性との間の、「(セックスにおいて)注意深くなるためにはどうしたらよいのか」についての会話の中で、主人公が口にしていた。今、書きながら思ったのだけど、もしかしたら他の小説でも使っていた表現かもしれない。どうだっただろう。

このセリフの何が好きなのか聞かれても割と困るのだけど、なんとなく印象的な表現で、とにかく頭の片隅にずっと残っていて、今でも歯医者で気を紛らわすときに冷蔵庫の中に一つぽつんと冷やされたきゅうりを思い浮かべたりもする。村上春樹の小説のなかではとてもいきいきした表現なのだけど、これ単体で拾ってくると少しイタい気もする。が、まあなにせ私の頭の中の話だし、歯医者で切羽詰まった状況なわけだから、どうか見逃してほしい。

ともかくこの小説は、少し不思議でいつも通り登場人物が魅力的で、かつある程度読みやすい「よい村上春樹小説」だと思う。

最後に、小説の中で登場して、「あ、最近聴いてなかったな」と思ったバンドがあったので、彼らの曲を貼り付けておく。


Ten Years Afterの「I’m going home」。あの有名な音楽フェスティバル「ウッドストック」(1969)の映像。

確か高校生の時だったと思うのだけど、祖母宅を訪ねていた時に伯母(当初、叔母と書いてましたが、母の姉なので間違っておりました)にウッドストックの映像を見せてもらって、ジミヘンよりも、Sly & the Family Stoneよりも、一番印象的だったのがこのバンドだった。ブルースロックとよばれるジャンルらしい。ギターはいわゆる速弾きが流行る少し前の時代に「マシンガンピッキング」と呼ばれていたらしい。私にとって特に感動したのが、ベースの弾き方。とにかく情熱的で破壊的な演奏で、文字通り弦を叩きつけるよう。高校生だった私にはとにかく衝撃的だった。下の動画では、ドラムもすごい(The Hobbit)。


走ってなんぼの彼らのグルーヴ感は、まさに電子音楽がまだ到達できていない生きたロックだと思う。

音源でもアルバム「Live at the Fillmore East」に収録されている。たまにこの暴走ドラムを聴きたくなり、耳元で流す。いわゆるドラムソロにありがちなナルシシズムみたいなものがなく、本当にこの人はただただドラムを殴りつけたいだけなんだなというのがすごく好印象。

もうかなり古いバンドだけど、時代が変わっても絶対に色あせないソウルフルな演奏だと思う。

※本記事からくどいかなと思い、冒頭の挨拶を省略してみました。何事も、臨機応変に変わっていく姿勢が大事ですよね。

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