日記;うまく言葉にできない

 たまには日記的なというか随筆的な記事を書いてみようと思う。そもそもこのブログはそういう目的で立ち上げたのだった。つい下心が大きくなってしまい、「ネタ」を探してしまう。たまにちゃんと初心に戻らないと。そう思い立って書き始めてみた。この記事の着地点は見えていない。

記事を書き始めたからには、そこには何か書きたい感情がある気がする。自分のなかに、何か特筆すべき感情があるのは確かなんだけど、それがうまく像を結ばないというか、それを手に取ってみることはできる気がするのに、一方でそれが何であるのかをうまく言い表せない。

「うまく言い表せない」のだから記事になどするすべもない。

なので、少しばかり、日記的なことをしてみようと思う。何かつかめるかもしれないし、あるいは何もつかめないかもしれない。なんとなく、頭に浮かんだことをそのまま文にしてみたい。

今日、8月24日は夏季休暇をもらったので、我孫子に行ってみた。我孫子に行って、街をぶらついて、手賀沼をちらっと見て帰ってきた。我孫子に行った理由は単純で、引っ越しをしようと思っているからだ。今住んでいる街がずっと、なんとなく好きになれず、居心地の悪さを感じることもあって、近々引っ越したいとここのところずっと言ってきた。今すぐ動くつもりはないのだけど、次の冬の間にでも引っ越せればいいなと思っている。

一応、常磐線沿線に越せればいいなと思う。いろいろと理由はあるんだけれど、常磐線が東京から東北まで続く路線だというのも、比較的大事なポイントに思う。「線路は続くよどこまでも」とあるが、まさにそんな感じ。この線路をたどっていけばどこかに辿り着く、というのは自分にとって一つの安心材料でもある。

今日の小旅行では、20分ほど常磐線に乗って我孫子に行った。常磐線の乗り心地は素敵だった。私は電車に乗るのが好きだ。特にどの路線が好きとかはないから、いわゆる「乗り鉄」というのとは違うと思うのだけど、ローカル線に乗ってぼんやりと移動している感覚が好きだ。誰かにとっての日常に自分が溶け込んで、それが自分にとっては非日常であるというぼんやりとしたギャップのようなものに居心地の良さを感じる。大学生のころはよく、青春18切符を買って移動していた。

途中立ち寄った手賀沼

人生で初めて青春18切符を使ったのは高校生の時だった。実家では、両親の出身地でもある愛知へ毎夏・毎年末帰っていたのだが、私はその年、同級生と組んでいたバンドの練習があるからと別行動を申し出た。そのとき、なんでだったのか書き始めてよくわからなくなってしまったのだが、それなら青春18切符で来るよう母親に言われた。のだったと思う。自分から言い出したのかもしれないが、少なくとも私の気持ちとしては、言われたから取った行動だった感触がある。もしかしたら、学割をとって来忘れたのかもしれない。

ともかく、その日私は千葉駅近くのスタジオか公共施設かのどちらかでバンドの練習をしたあと、そのままベースをかついで総武線快速で東京に行き、そこから東海道線で名古屋に行った。楽しかった。他の人から見たら私はただのバンド練習の帰りの高校生にしか見えないのだろうが、実は私は千葉駅から電車を乗り継いできている。その感覚はなんとなく優越感を感じるものでもあり、気持ちがよかった。

できるだけローカル線に乗るときは身軽でいたい。いかにもな旅行客感は出したくない。何気ない雰囲気で電車に乗っていて、その実自分は電車にもう6時間も7時間も乗っているのだという、その感覚がたまらない。まあ、それだけ乗ってると途中で飽きてくるのも事実だったりするから難しいのだけど。

大学1年生のクリスマスに一人で奈良に行った。泊りでの一人旅は初めてだったと思う。こっぱずかしい話でもあるのだけど、いわゆる「自分探しの旅」だった。幼少期に父の仕事の関係で2年ほど奈良に住んでいたことがあった。それで、自分のルーツを探したいと思って奈良に行った。なんで自分のルーツを探りたいと思ったのかはよく覚えていないけど、私は17歳のときに自分を見失ってからずっと自分のことを考えていたから、そんなに不思議ではない。偽らない自分の姿がどんなものなのか、ロジカルに証拠を積んで、納得したかったんだと思う。逆にいえば、そこまでしないと偽っていない自分の姿が見えないというのもまた、私の特徴なんだろう。

青春18切符を使った。東海道線で名古屋に行き、そこから関西本線で亀山まで移動し、さらにそこからディーゼル車で山を越えて奈良に入った。山を越えるときにはもう日も暮れて、真っ暗闇のなか土地勘のわかない無人駅を通り過ぎていくことに、心細さをしっかりと感じていた。宿をとった天理の駅前の定食屋でおばちゃんから言われた「おおきに」の一言がすごくあったかく感じられたのを覚えている。

奈良では、カメラを首から下げたままぼんやりと奈良公園の女子トイレに入ってしまったとか、奈良の大仏でクリスマスのその日にカップルから写真を頼まれるとか、いろいろネタになる話もあったけど、4、5日滞在してすごく自由に過ごしていたのが気持ちよかった。奥宇陀の街の雰囲気もよかったのを覚えているし、飛鳥の村を一日自転車でぶらついてみたら、想像以上に何もなかったのもよい思い出だと思う。

自分のルーツは結局よくわからなかった。まあ、たかだか2年だけだもの。そりゃあそうだ。

以前、出張先で上司が全員酔っ払った状態で電車に乗った時に、私だけ素面だったので注意力が維持できており、その電車が先頭車両だけ降車できるものであるのに気が付いたときに「てっちゃんか?」みたいなことを言われて、私はぺこぺこしていたのだが、はっきり否定しておけばよかった気がする。私は鉄道オタではない。ただ、移動することが好きなだけだ。

そんなことを考えていたら、毛皮のマリーズ「C列車でいこう」を思い出した。

中央線のC。私は大学生のとき、毎日東京から、あるいは御茶ノ水から国分寺まで中央線に乗っていた。それもあって印象深かった。

この曲が収録されているアルバム「ティン・パン・アレイ」をその流れで聴いていたのだけど、すごくいいアルバム。自分の心の柔らかいところにそっと触れてくる感じというか、寄り添ってくれる感じというか、志磨遼平の魅力の中心ともいえるところだと思う。だけど、当時はこのあたりから毛皮のマリーズへの興味をなくしていった。Faust C.D.とGroomyではまったバンドのアルバムとしては、何か違うんじゃないかと思ってしまった。もったいないことしてたなあと思う。とにかく、いいアルバム。「星の王子さま(バイオリンのための)」、「愛のテーマ」、「欲望」、「弦楽四重奏曲第9番ホ長調 「東京」」と名曲ぞろい。「愛のテーマ」は志磨遼平が書いたラブソングのなかで、というかほとんどすべてのラブソングの中で一番の名曲だと思う。

そうだ 二人の距離、それがこの世界の直径

そして それを縮めていく、人類の歴史

「ねえ結婚しようよ!」「子供作ろうよ」

…こうして世界は一つになるのだ!

毛皮のマリーズ「愛のテーマ」

なんか、志磨遼平の歌う愛の歌はどれも、飾らないというか、直に触れてくる感じが大好き。

うん、たまらない。

ところで、本当に話題が全く変わるのだけど、ここのところ遠藤周作「海と毒薬」を読んでいた。以前から何度か読んでいるのだけど、考えさせられるところの大きい小説で、何度でも読む必要があるように感じる。

この小説は、戦時中に実際にあった米軍捕虜を使った人体実験をモチーフにしたフィクションで、大きな流れ、大きな社会の動き、その中で日本人がどのように戦争に入っていったかを生々しく描いている。犯罪を行う人間の心理というか、必ずしも悪意や利己的な感情だけでなく、自分の手に負えない大きな力に振り回された挙句のあきらめとか、自己欺瞞とかそういう痛々しい感情の終着点として、そこに行きついた人々。

もしそこにいたら、私も解剖実験に参加してしまったんじゃないか。そんなことを考えてしまう。

遠藤周作の小説は続編の「悲しみの歌」も読んでいるのだけど、解説を読んでいたら「沈黙」と「留学」も(内容は全く違えど)「海と毒薬」と合わせて三部作と呼んでもいいのではないかと書かれていた。今日、我孫子の書店で「沈黙」の単行本を買った。

人間、あるいは日本人であることについて考えるのに、遠藤周作の小説は最適だと思う。もう少し読み進めてみようと思う。

そんな感じです。夏休みも折り返し。

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