「怒りの葡萄」を読んだ;アメリカの思い出を少しだけ

 こんにちは、RTです。

最近、夜の寝つきが非常に悪く、睡眠導入剤を飲んでも落ち着かない時間が続く。それで、薬を飲んでからの少しの時間を毎日使って、有名な作家だからと買ったものの手をつけていなかった本を、少しずつ読み進めることにした。

読んでいた本は、「怒りの葡萄」。米国の作家ジョン・スタインベックが1939年に発表した小説(大久保康雄訳)。

(たぶん、)大学生のときに買ったと思うんだけど、何となく腰が重くて手をつけていなかった。

小説を読み続けられるかどうかは、物語の世界に自分がどれだけ入り込めるかどうかに依る。一度入り込んでしまうと一気に読み込むのだが、そこまで熱中するのにエネルギーが結構必要になってしまう。

物語は一人の男がアメリカ中南部の荒野を一人で歩いているシーンから始まるのだが、そこからなかなか作品に入り込めず、読み進められなかった。

この小説では、物語は概ね2つのテーマを交互に語る形式をとる。1つは、かつてはオクラホマの小作農だったジョード家が、農業の機械化・商業化で土地を追い出され、ルート66を辿って新天地カリフォルニアへボロトラックで移動し、そこで始める生活を描いたストーリーで、もう1つは、そんなジョード家を取り巻く、より大きな、社会とか移住者たちの状況をルポ的に記した内容。

読んでいて引き込まれたのはこの構成で、一家族の苦難の旅路とアメリカ合衆国を取り巻く大きな時代のうねりが並行して語られていくので、自然と当時のアメリカの農民たちの感情に近づいていく。

この小説が発表されたのは1939年とのことで、世界恐慌(1929-1930)からは回復していると思ったら、1941年まで経済水準は回復しなかったらしい(Wikipedia)。ということで、物語は世界的な大きな不況の流れが農村部にまで届いた時代を描いているのだと思う。

読み終えた今、なんとなく、2つの点でまさに今の時代に読むべき小説だったなと思っている。自分としては、元々「眠るのに丁度いい」という失礼な理由で読んだので、こんな偉そうなこと言う権利は全くないのだが。

1つは、それまでの社会で当然だったはずの、自分の土地を自分で耕す生活から追い出され途方に暮れる農民の姿が、コロナ禍で大きくざわつく世界となんとなく重なって見えたということ。

もう1つは、オクラホマとかテキサスとか、中南部の農民がカリフォルニア市民から疎外されていたことの描写。大きな時代の変化と雲行きの悪い経済への不安と、山脈を隔てた遠方からの大量の移住者への恐れから自分たちの身を守る行動をとる住民たちと、生き残るために住居と仕事を探す移住者たちの対立は、どこかここのところの人種差別関連ニュースと重なる。

あと、物語を通じてアメリカの大地を描いた描写がすごく良かった。

私自身、3ヶ月間テキサスの田舎に留学していたのだけど、アメリカの広大な大地を見渡したときの、途方もない無力感を思い出した。日本の土地は、何となくどこでも誰かが所有しているイメージなんだけど、大陸はあまりに大きく、誰も所有者がいない空白のような土地が多かった気がする。

せっかくなので、テキサス留学時の写真をと思ったのだけど、写真が少なかった。。。大変なことも多い留学だったし、もうちょっと何かあったんじゃないかとも思っているところもある。まあ、きっとそれ含め経験なんだろうなあ。

シカゴからサンアントニオをつなぐ長距離鉄道Amtrakの線路(Texas Eagle、Temple市Blackland付近)
テキサスのリス
テキサスバーガー(組み立て前)

あと、アメリカ発祥のポップカルチャー好きからすると、ルート66ってこういう感じだったんだなと勉強になりました。



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