引っ越しの話;生き方と土地
個人的な話で失礼仕る。
そもそもブログは個人的な話をする場ではあるのだが。
本日、2021年2月1日に、茨城県つくば市から千葉県我孫子市へ引っ越しをした。
特に仕事を変えるとか、誰と同居しはじめるとか、そういうことはない。家賃は今より幾千円か安くなり、居住スペースは7割程度になった。
今回の引っ越しに関して、兎にも角にもテーマは住む土地を変えることである。
「職住近接」という言葉がある。
私の仕事は、「研究・開発分野の団体職員」である。そしてつくばは、研究・開発の街である。「職住近接」という観点からいえば、何と理想的な環境かという話になる。
のだけど、実際に私の人生というものを考えたときに、これが全てなのだろうかという気持ちが強くあった。
研究者、というものを見ていると、一つのテーマに深く潜ることが得意な人が多い印象を持つ。この仕事についてもう5年が経つ訳だが、就職してから近年に至るまで私は、それが理想だと思って生きてきた。
ただ、この5年、というか大学院の修士から数えればこの7年、私は色々なものを擦り減らしてきた気がする。
昨年、このブログを立ち上げた。その中で、読書や音楽について語る、或いは些末ながらに文を書き、曲を作る行為を行っているうちに、こういったことが自分にとってどれほど大切かということを改めて思い知った。
私の人生は、仕事に規定されるものではない。
それがここのところ思うところである。私の人生には本来、仕事があり、読書があり、音楽があり、映画があり、旅があり、そしてなんだろう、他にもまだ私も気が付いていない何かがあるのではないか。
そう考えた時、つくばという街に住み、研究という仕事をすることを少し危ないことではないかと思った。
それで、ここ2年ほど引越し先を探していた中で決定したのが、今回引っ越してきた我孫子市という街だ。
最初にこの街を選んだ理由は極めて物質的な理由からだった。
通勤時間がそれほど長くならないこと。街としてうるさすぎず、静かすぎないこと。
最初はそれだけだった。
それが、何度かこの街に通っていてわかったのだが、この我孫子という街は古い別荘地であり、明治終期から大正にかけての文学での一大ムーブメントであった白樺派が一時期拠点としていた土地でもあるということがわかった。
決して家探しをしたときに、白樺派を読んでいたわけではなかったから、そのあたり何とも言えないのだけど、物質的に選んだ土地が文学とつながりを持っていたということに、「運命」と言ってもいい何かを感じた。運命だなんて、あんまり使いたい性格ではないのだが、それでも何かある気がした。
とりあえず、家探し中に白樺派の一人、志賀直哉を読み始める。最初に手にとったのは、暗夜行路である。主人公が、その悲劇的性質にも関わらず、情緒的な成長を経ていくストーリーは個人的に好きなものだった。
加えて、志賀直哉がこの小説を書き上げるに当たっては、夏目漱石が背中を押していたことがあとがきに書かれていた。
私も、昨年ちょうど夏目漱石を腰を据えて読み始めた。また、この小説の大半も我孫子で書かれていると聞く。無理矢理感は否めないが、私とて繋がりは無いわけではない街ということだ。
ともかく、新しい街である。見るものが色々ある。文も書きたいし、曲も作りたい。実はこの記事は引っ越しの10日前に書いている。ブログが更新される頃には、引っ越し疲れを迎えていると思われる。引っ越しはゴールでなくスタートである。変化には困惑と疲労も伴われるだろう。だが、それでも少しずつ新しい生活を組み立て、より自分らしい人生を生きていこうと思う。