日記;千と千尋の神隠しを観て勇気について考えた話

 引き続き夏休み。

昨日は電車とバスを乗り継いで埼玉南部の映画館まで来て「千と千尋の神隠し」を観た。

本当は私の居住市内でも公開していたのだが、公共交通機関でのアクセスがひたすら悪いところだからという理由で電車で来れる埼玉まで来た。前回も書いた通り、電車で移動するのが大好きな人種である。

そして、車社会を自転車で生きているへそ曲がりでもある。

こうもうろちょろするのが好きな人種は、コロナ禍の世の中では気を付けないといけないとも思う。まあ、元々人混みは嫌いだし、人が集まるような理由がない通りをぶらぶらするのが好きな身である。なので、それほど危険はないのではないかと思っている(大体のお話では、こういう奴がいちばん危ない。気を付けます)。

して、「千と千尋の神隠し」である。素晴らしい映画だった。もうその一言。2001年の公開当時は小学校4年生だった少年も29歳のおっさんになった。

29歳は断じておっさんではないと思うのだけど、今週のジャンプで『「28をおっさんと思ってないあたり…」「闇が深いですね」』(田村隆平「灼熱のニライカナイ」より)と言っていたからそういうことなんだろうと思う。ジャンプを読んでいても、少年認定はしてくれないようだ。

ともかく、何だろう、この歳になって改めて観てもすばらしい映画だった。むしろ、細かい描写に引き込まれ、子供ならではの真っ直ぐな勇気とか優しさとか、そういうものを考えた。

私は映画を観ると登場人物に対して過度に自己投影する質なので、千尋とその家族が神隠しに逢い両親が豚になってしまうシーンでは、29歳の比較的肩幅の広い男が結構びくびくしてしまった。展開がわかっているからこそ、「ああ、やめとけよう。。勝手に食べるなよう。。」などとおびえてしまう。実にかわいいものだなと自分で思う。

それが何歳だか知らないが、まだ小学生であろう千尋が、恐れや困惑をすぐに乗り越えて真っ直ぐに立ち向かっていく。

なんだかおっさん、勇気をもらってしまう。

いや、まあアニメの話だし、そう考えれば子供向けアニメってそういうものな気もするけれど、やっぱりそこら辺はさすがジブリなのか、映画を観ている間になんだか自然と勇気をもらってしまっていた。

どうもこう、頭がとっ散らかりやすい身である。あれやこれやと考えが盛んに動き回り、不安や恐ればかりが大きくなり、結果動けないことが多くなった。数年前はもう少し動いてみようという気持ちもあった。だけど何回か痛い目に会う内に動いて自分が痛手を受ける恐れがあるのなら、動かずにじっと全てが過ぎ去るのを待っていたい気持ちになっているところもある。

昨日も一日、いろんなことを考えていた。考えれば考えるほど、何をしたらいいのか、わからなくなってしまう。

きっと、私に考えるのをやめることはできないのだとも思う。体質みたいなものだから。だけど、いくら考えても、手を動かさない限り、足を動かさない限りは同じことが繰り返されるだけなのだろう。「ダンス・ダンス・ダンス」(村上春樹著)の羊男も言っていた。

踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。

村上春樹著「ダンス・ダンス・ダンス」

私も勇気を出さないといけないのだと思う。意味なんて考えちゃいけない。少しでも具体的に。このちまちました寂しい人生から、抜け出ていかないといけない。と思ったけど、何に勇気を出したらいいんだろう。まあ、いいや。今日はプールで泳いでこよう。夏休みだし。

とにかく動いてたらそのうち、勇気を出す場面も来るのでしょう。

そんな感じ。最後に、私が勇気を出したいときにいつも聴くのはこの曲。もうこのブログ始めてから3度目ですかね。

Mr. Bigの「Take Cover」。いつ聴いてもPat Torpeyの力強いドラムが背中を押してくれる。ドラムはたぶん人間が最初に手にした楽器。狩りに行くときにも他部族との闘いに赴くときも、いつも人間に勇気を与えてくれた、そんな時代の血が私にも流れているのかもしれない(あ、そうか、血は流れてますね、確実に)。

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