しんどいなあ。 しんどい。 「たかがそれだけ」のことから始まって、色々なことを連想する。 自分の中の虚ろが強く存在感を主張する。録画していた深夜番組が途切れたとき、聴いていた曲が終わったとき、読んでいる本を置いてトイレに行こうとしたとき、部屋の中に充満する空虚さが強くその存在を主張してくる。 色々考えると、これまでの自分の行動原理は基本的に虚無感だったんだなあと思う。心の内にある虚無感を埋めるためにあらゆるものを詰め込み詰め込み、それを漏らして漏らして、ずっと空っぽのまま走っていたのだろうなあと。これまでの人生で色々な優秀な人たちのなかに紛れる機会が多かったのだけど、その度にいつも自信に満ちている彼らと比べたときの自分の色のなさを(無意識下で)意識していたんだろう。 もう、色んなことが正直しんどい。何で皆平気な顔してこんな世界を生きてるんだろう。 この歳で漸く、どうにか歩いていく方法を学ぼうとしている。右足を出して左足を出して、その次の右足を挫いて、勢いで左足も怪我をして、うまくいかない。周りの人間がたったかたったか歩いている中で俺は何をちんたらちんたらやっているのかと反吐が出る。 何で俺はこんなにもうまく歩けないんだろう。 「俺たちはただ普通に息を吸って吐くだけが何故難しいでしょうか」(in 「オトナ」by Creepy Nuts) だけど、まあ、何だろう。外的要因じゃないんだよな。ずっと。もう20年以上、内に抱えてたもので、いつかは向き合わないといけなかったものなんだろうと思う。 ニュースに出てくる下らない年寄りにならないために、今のこのしんどさがきっとあるんだろう。俺に、あんなことを言ったあの下らない中年にならないために、今のこのしんどさがあるんだろう。どうにかしてこうにかしてこのしんどさの中を生きていって、どうにかしてこのしんどさの先に中身のある自分を見つけてやりたい。この歳でこのしんどさに向き合うのは、ある意味幸運なのかもしれない。みっともない年寄りになる前に、自分の大きさをもう一度考える。 自信はさらさらないのだけど。全くないのだけど、このしんどさの先に、しんどさを誤魔化さずに向き合った先に、虚ろではない自分が居るとでも思ってないと、立っていることすらしんどいよ。 しんどいものはしんどいから、無理はしちゃいかんね。俺はもう壊れてたんだよ。長い間。ようや