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30歳を迎えて/渾身の一曲「海猫」

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30歳を迎えた。 20歳を迎えたときには、自分の人間性の自信のない部分については置いておいて、現実的な技能をまずは身につけていこうと、人間性は30歳からでいいだろうと、そんなことを考えていた。 結局、そうもいかず、人間性の足りないところからぼろぼろに崩れていったところもあった。しんどかった。辛かった。自分そのものが恥だった。 小賢しい生き方ばかり身につけて、技巧的に振る舞う自分が醜く思えて仕方なかった。 色々あって、ここ2年で自分の特質・自分の生き方・自分らしさを考えてきた。 よく考えてみると、子供の頃から生きづらかった気がする(年齢だけ30歳になったけど、果たして今の私は「オトナ」になれたのだろうか)。 そうなんだけど。 そうなんだけど。じゃあ、自分の人生のどこかのタイミングに戻れるとして、俺はそれをするだろうか。 いや。しないなあ。しんどかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、死ぬほど腹がたったこと、誰かを傷つけたこと、恥ずかしいこと、それともちろん楽しかったことも、その全てが俺のアイデンティティなんだろうなと思う。 たぶん、それをどこかできれいに書き換えたら、きっとそれは最早俺じゃないんだろう。 ネガティブに自分を傷つけながらここまで来て、その中で作られた自分の視点を大事にしたい。 30代は、一つ一つこれまで落としてきたものを拾いながら、一歩一歩、生きていこうと思う。 まあ、しんどいんだけど。色々。情けなくて自信がなくて、どうしようもないんだけど、それでも。 たぶん、生きるってそういうことなんだろうと思う。自分の歩幅で、少しずつ。ポコ・ア・ポコ。 そんなこんなを思いながら書いた渾身の一曲。ぜひ聴いてほしい。 歌詞は縦書きブログで公開しております。こちらもよろしければ。 海猫 - ウミネコ - g.o.a.t (goat.me)

或日スタジオにて

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本日14時から16時で、柏のStudio North Hollywoodで動画撮影をしていたときの模様。あとで数えたら44回録画ボタンを押していた。 途中、自分で書いた曲を演奏しきれないのがあまりにしんどくなったタイミングで、顔をぎゅうっとして、(ウミネコだし、)「にゃあ」と言ってから撮ったテイク(このテイクをYouTubeにあげるとしたらにゃあは切ります、さすがに)。 あまりにもミステイクが重なると、「せっかくの休日なのに指先痛くして何してるんだろ」とか、「大事な曲なのにこんなネガティブなテンションでいいのだろうか」とか、「俺はこの大事な曲を一生撮り切れないんじゃないか」とか、挙句の果てに、全く関係ない最近の心掛りが頭の中に湧いてきて、それを振り切らないとというのがあって、そういう儀式が今日はこれ。 なんか、一曲の動画を録るのって、禅みたいだなって。 今日の自分の場合、44ファイル中3テイク残した。ファーストテイクとか、ライブとか、プロってやっぱすげえなあと思う。  この曲は3月か4月頃から練っていて、自分の人生をどう捉えるかというのがテーマで、ちょうどいいので近く来る誕生日に公開しようと思う。今回の3テイクで満足いくものがあればがいいが。。。なければ来週も同じ曲の撮影作業かな。

たりないふたりとたりないふたりとたりない私とたりないひとたち

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2021/5/31 配信ライブ「明日のたりないふたり」 南キャン・山里とオードリー・若林による漫才ユニット「たりないふたり」の解散ライブを仕事を早めに上がって視聴。 ただのお笑いじゃない。 たりないことを受け入れて笑ってやっていいって、教えてくれた。たりてないのが私だけじゃないと教えてくれた。人生をもがいていくのがどういうことなのか教えてくれた。 私と一緒にたりないふたりに共感していた、別のたりないふたりが武道館でライブやって、Mステに出て、それでもまだたりない曲を書きながら、バカスカと実力を見せつけている。 ほんと、たりないふたりは、素晴らしいコンテンツだ。 奇跡的なつながり。だけど、たぶんこれは革命でもなんでもない。どこに飛び立つヘリコプターもない。たりないひとたちは引き続きたりないままやってくんだろうな。 でも、ほんと感動したんだけど、欠落って、不足って、共有できるんですね。 私のしんどかった時期に、一人じゃなくてよかったと思う。上に革命じゃないと書いた。たぶん彼らの「たりないふたり」だけでは、まだ何も変わっちゃいないと思う。 だけど、彼らは「たりない」ことが共有されるコンテンツたりうることを示した。たりてないことがどれだけ満ち溢れてるかを見せつけた。 彼らが生の不満をぶつけてそれでも一緒にいられたことは、それはたりないふたりだったからなんだろうな。 ああ、たりない私は、たりないふたりとたりないふたりにどれだけ救われてきたか。素晴らしい芸能だった。たりないふたり。 今日、時間を共有した私たちは皆、明日からもまたたりないままなんだろう。 ありがとう。山里さん、若林さん。たりないふたり、めちゃくちゃ楽しかったよ。めちゃくちゃ共感したよ。めちゃくちゃ安心したよ。めちゃくちゃ助けられたよ。あなたたちがCreepy Nutsを引っ張り上げてくれたおかげで、HIP HOPのかっこよさを知ることができたよ。あなたたちたりてないひとたちが表現をしてくれているおかげで、私も一人じゃないんだってずっと思うことができたよ。 きっとたりてる私だったら、このたりてないひとたちには会えなかったんだろう。 ああ、たりてなくて良かったなあ。

最近スタジオによく行っているという話とその他諸々;「ウミネコ」を名乗るようになったこと

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[ご報告]: 表現者としての自称として「 ウミネコ 」を名乗ることにしました。ずっと自称を考えていたのですが、あまり肩肘張らないもので、なんとなくイメージのいいものとしてこの鳥の名を拝借することにしました。私は海の広さが好きですし、海鳥のようにゆらりゆらりと生きていきたいと、そこらへんの気持ちからつけた名前です。あと、敬愛するスピッツも「海ねこ」という曲を出していますのでそれも後押しに。さて。 ブログの更新が滞っていた。 最近はとあるサイトづくりでプログラミングに張り付いていて、仕事と関係ないところで忙しい。ちなみにこのサイトにも関係あるサイトだから、そのうちご報告することになると思う。 ただ、仕事でもプログラムを扱うもので、そればっかりになってしまうとストレスだから、できるだけスタジオに行くようにしている。YouTubeではアップロードしていたのだけれどブログ記事でまだ掲載していない動画を、一気に貼り付けておこうと思う。 「 春がくる 」(2021/3/20撮影) 春が来る曲。実家に住んでいた20歳頃に、近所の桜の木を見て書く気になった曲。 「 フラジャイル 」(2021/3/27撮影) 2019年2月のはじめごろ、一番しんどかった時期に書いた曲。こういう曲も、ちゃんと自分のポートフォリオに入れておこうと撮り直しした。 「 風の吹く夜(もう一度風の中へ) 」(2021/4/11撮影) 自分としては初期の曲。19歳ごろ(だったと思う)書いた曲を改めて今の自分の視点で書き直してみた曲。誰も知らない曲の別バージョンって。。。とは思わなくもないけど、まあよし。 (カバー)「 YOUNG LOOSER (毛皮のマリーズ)」(2021/4/11撮影) この間、唯一のカバー曲。個人的に、日本語ロックで一番文学的な歌詞だと思うので、一度自分でも歌ってみたかった。ぜひ、本物を歌詞読みながら聴いてみてほしい。 「 マイ・ロックンロール 」(2021/5/3撮影) 数年前、たぶん2017年か2018年に書いた曲。2018年だったかなあ。私が曲を書く、ということについて書いた曲。なのだけど、ダウンピッキングがきつい。もう少し練習してもう一度撮り直したいなあ。 その他、自分のことについて書きたいことは溜まっていて、時間を見て曲を書いている。また近いうちに新曲もあげられるかと思う。

「抜き書き」のページを作った話

読書をしていると、「お、この表現は」というのが多々あるので、それをまとめたページを作った。 読書・抜き書き (satsumage81.blogspot.com) 最近、「生きること=表現すること」という等式は成り立つのではないかとよく思う。「表現」なんていうと、達者であることを求められるような気にもなるけど、別にそんなことはなくて、言いたいことを言って、書きたいことを書いて、歌いたいことを歌って、最低限それが他人を傷つけない範囲であれば、それは全てその人に必要なことなのだろうなと。 ある人にも言われたけど、それを殺しちゃいけない。 それで、オリジナルな表現というのは演繹的な表現なのかなと思うのだけど、自分の好きなもの、心を動かされたもの、嫌いなもの、そんなものを羅列するというだけでも、これはこれで帰納的な自己表現になるのかもなあなどと考えている。 このページはその一環。自分の心を動かした表現を一つ一つ書き写していくと、もしかしたら自分にも見えていない自分の姿が見えるかもしれないな、などと期待している。

音楽絡みの動画を4つ挙げました;引越し先で新しいスタジオへ行ってきた

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引越絡みでなかなかギターに触る時間もなかったところ、久々にスタジオへ。引越し先の街にスタジオはなかったので、柏のスタジオへ。 STUDIO NORTH HOLLYWOODさん (@STUDIO_NOHO) / Twitter 目標としていたのは、オリジナル1曲とカバー1曲の録音だったものの、行ってみたら今日は比較的スムーズに録音できたので、オリジナル2曲、カバー2曲を録音してきた。 まずはオリジナルからご紹介。 「オープン・マイ・アイズ」 昨年は、人との向き合い方を考え直す1年だった。そんなプロセスの中で書いた曲。曲を書いたのは9月頃のことだった模様。 「小春」 こちらは昨年11月に、小春という言葉が旧暦10月を表しすこともあることになんとなく強い印象を受けて書いた曲。 続いて、カバー曲。 「深夜高速」(フラワーカンパニーズ) 歌詞が大好きで、独りでカラオケに行くときにもだいたい歌う。カバーしてみて気がついたのだけど、コード進行が恐ろしくシンプルで、その分表現が難しいと思った。 「幸福論」(椎名林檎) 高校時代に組んでいたバンドで「幸福論(悦楽編)」をカバーして以来、なんとなく口ずさむことの多い曲。当時はベースだったから、ギターも歌もやってはいなかったのだけど。そして、個人的には、悦楽編よりオリジナルが好きだったりする。 椎名林檎の「オーラ」って、かなり危ない諸刃の剣で、下手に手を出すとかなり痛々しくなるかなと思い、曲中から彼女独特の雰囲気を出しているコードを外してしまった(練習不足という面も多分にある)。 練習不足というか引越しやら何やらでギター触ってなかったのを痛感したスタジオ入りだったけど、割と好きな曲を好きにやったのはよかった。

村上春樹『若い読者のための短編小説案内』の案内(2021年2月時点)

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私は村上春樹がとても好きなので彼の本を色々と買い込んでいるのだが、本棚を見て「そういやちゃんと読んでなかったな」と思った本があった。 それが、「若い読者のための短編小説案内」(文春文庫, 2004年(単行本1997年))だった。手に取った当時この本を読めなかったのには明確な理由があった。この本では、「第3の新人」という日本の文学史のなかの一群の作家の短編を扱っているのだが、私は当時日本文学に興味を持っていなかった。それが理由である。 ところが、ここのところ急激に日本文学に興味をもつようになった。 これについては前記事で:「 好きな日本人作家の話 」 という流れがあり、今回本書を読むことにした。 この本の中では6人の、第3の新人に類される作家が扱われる。 以下に扱われている作家の情報をまとめる(入手困難か否かについては、書店で発注して入荷してもらえるか確認した結果。Amazon等で探せば中古なら下記の全集以外の収録書籍を入手可能。全集で読むなら図書館で探せば恐らく見つかるはず)。 小説家名 作品名 今回確認した収録書籍 入手困難? 吉行淳之介 水の畔り 吉行淳之介全集1(講談社) 困難 小島信夫 馬 アメリカン・スクール (新潮文庫) 購入可能 安岡章太郎 ガラスの靴 質屋の女房 (新潮文庫) 購入可能 庄野潤三 静物 プールサイド小景・静物 (新潮文庫) 購入可能 丸谷才一 樹影譚 樹影譚 (文春文庫) 購入可能 長谷川四郎 阿久正の話 現代の文学22 長谷川四郎 開高健 (講談社) 困難 吉行淳之介「水の畔り」については、この作品は探しづらいが、芥川賞受賞作品でもある「驟雨」を収録する「原色の街・驟雨」等は購入可能(「水の畔り」はマイナーな作品のようですね)。この本に収録されている「漂う部屋」は「水の畔り」と同じ病室を扱った短編。 長谷川四郎「阿久正の話」については、この作品だけでなくこの作家の単行本そ...

好きな日本人作家の話

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個人的な話になるが、昨年夏頃から読書習慣が7年ぶりくらいに復活した私は、ようやく日本の文学作品を多少なりとも広く読むようになった。 私は音楽でも読書でも基本的には、誰か1人(もしくは1グループ)に猛烈にはまり、その人(グループ)に影響を与えたものに派生していく形で趣味の幅を広げる。だから、ジャンルだったり年代だったり、客観的な分類で話を始めるとうまく入っていけないことが多い。 読書については、特に村上春樹作品によく登場するフィッツジェラルドのようなアメリカの作家の方面で広げてきたように思う。 それが、最近改めて村上作品だったり関連作品だったりを読み直していた中で、ようやく夏目漱石に辿り着き、日本文学を色々と楽しみたいと考えている状況が現在である。 まずは夏目漱石の話をする前に、 内田百閒 について。 村上春樹「1Q84」の中で天吾が病室で眠り続ける(そして不和でもある)父に向けて淡々と読み聞かせをする場面の中で登場する「 東京日記 」という小品集からの一節が何となく強烈な印象を与えてきた。最初はその文の出典がわからなかったところから頑張ってこの作品を探し出してきて、読んでみて大好きになった。個人的には、「 百鬼園随筆 」、「 御馳走帖 」で見せるへそ曲がりの頑固な厄介者な姿や「 ノラや 」で見せる可愛らしさなどもまた、随筆を通じて見ることができた百閒先生の姿であり、この作家に強い親しみを覚えることとなった。 明治の終わりに岡山県に生まれ、昭和の終わりまで生きた作家。夏目漱石の大ファンとして帝大入学と共に上京し、芥川龍之介に背中を押されてプロの小説家になったらしい。 本当にその素直な日本語の使い方が印象的で、とても好感の持てる作家だと思う。 さて、話を夏目漱石に戻す。夏目漱石を手に取ったのは複数の要因からだった。 一つは、 内田百閒 。上述のとおりであるが、彼は夏目漱石の大ファンであり弟子でもある。 もう一つは、「 海辺のカフカ 」。主人公の少年が高松の図書館で夏目漱石の「 坑夫 」を読む場面がある。 さらにもう一つが、 芥川龍之介 。新潮社が「 芥川龍之介短篇集 」(ジェイ・ルーピン編)という、英語話者向けに海外で発売されたものを「逆輸入」したものがあるのだけど、その序文を村上春樹が書いているということで手に取っていた。そして、芥川龍之介は内田百閒の親友であり、夏目...

『1984年』の再読・感想

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ジョージ・オーウェルの「1984年」を再読した。 『一九八四年〔新訳版〕』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター (bookmeter.com) 初めて読んだのは、20歳を過ぎた頃、7・8年前だったと思う。おそらくよくあるパターンだと思うのだが、村上春樹「1Q84」を初めて読んだ時にそこで登場した書籍をひたすら読み漁っている時期があって(この時期に現在、日本人作家として2番目に好きとなった内田百閒とも出会う)、勿論「1Q84」のモチーフとなった本作も手に取った。 そして、読み終えることとなったのだが、初読時の読後インパクトとしてはおそらく現在でも未だに最も強烈だと思う。分かりやすく言って、「喰らってしまった」。こめかみ辺りにがつんと一発。脳が揺れてくらくらする感覚。正直言えばポジティブなインパクトではない。物語はよく構成されていて、手に取った単行本(新訳版)は言葉遣いも非常に読みやすい。インパクトとなったのは、その物語が導き出す絶望性にあった。 こればっかりは絶対にネタバレできない。私は、できるだけ多くの人にこの本を手に取ってもらいたい。この小説が発表されたのは1949年、ジョージ・オーウェルが亡くなったのは1950年だが、今の時代においても、あるいは今の時代だからこそ、自分が自分として生きることを考えさせる小説だと思う。もしくは、「個として生きること」あるいは「個として殺されること」を強く考えさせられる物語だとも思った。 本書はカテゴライズすればディストピアものとなるが、私にはこの小説が完全なフィクションだと断言できない。この小説を覆う絶望の根となっているものは、現代の社会にも地続きのところにあると、そんな気がするのだ。よく思うのだが、現実を構成するある種の要素は、ノンフィクションでは描くことができないのではないか。一度抽象化し、フィクションとして再構成することによりはじめて、現実に潜むある種の要素が際立って表現されるのではないかと思う。 はっきり言って「喰らいます」。ハイカロリーです。それでも、それでもなお、できるだけ多くの人にこの絶望を実際に喰らってほしい。1984年という小説の舞台設定やおおよその展開はWikipediaでも学べると思う。だけど、この絶望を実際に喰らったか喰らってないかは、人生経験として大きく違ったものとなると思う。 ぜひ読んでほしい。...

Rei、表現する人;『Rei Release Tour 2021 "SOUNDS of HONEY"』の感想

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ミュージシャンってすげえなって思った。 今日はミュージシャン・Reiのライブをオンラインで視聴。 楽しかった。すっごい楽しかった。Reiを知ったのは確か2019年の中頃のことで、それから色んな曲を聴いていたのだけどライブを観たのは今回が初。 Rei自身も、またバンドメンバーも、すごくかっこよかった。もうまずはとにかくそれだけ。自宅でイヤフォンして踊り狂っていた。めっちゃよかったよほんと。 とにかくかっこよかった。「女性シンガーソングライター」とか「女性ギタリスト」とか、あるいは「シンガーソングライター」とか「ギタリスト」とか、もはやそういうカテゴライジングは意味なくて、全てのジャンルから独立して、もしくは全てのジャンルとのクロスオーバーとして、「Reiという表現者」として成り立っているのがすごかった。 よくよく考えたらこれまで聴いてきた曲もそうだったと思うのだけど、ステージ上にギタリストはRei1人。ロックで、かつこれほどギターでの表現が豊かな楽曲だと、バッキングギターを入れそうな気もするのだけど、そこに行かないのも、これもまた彼女の表現の芯の強さなのではないかと思う。(彼女はそんなにエゴイスティックではないのだと思うのだけど)「私の他にギターは要らない」というその姿がまず表現者としてかっこいい。Miyaviとかともそういう意味ではスタイルが重なる。唯我独尊のギタースタイル。しびれるんだよなほんと。 いつものことなのだけど、私はライブに行くのにすごく腰が重いタイプだ。チケットを買って、東京に電車で出て、ライブを楽しんで、夜遅くに帰ってくるというのを考えると何となく億劫になってしまって、相当行きたいと思わないと(この「相当」というのはReunionとか、神と崇める志磨遼平とか、本当にそのレベル)、ちょっとやそっと好きなだけならなかなかライブに足を運ばないことを改めたいなと思った。健康に生きてライブに行く。これ大事だな。 ライブ中に彼女が(うろ覚えなのだけど)「かたまりとしての「みんな」じゃなくて一人一人の「あなた」に私の曲を届けたい」というようなことを言っていて、ちょっと泣きたくなった。そうなんだよ。塊じゃないんだよな。 明日から一週間が始まる。ちょっとどんよりだけど、どうにか乗り越えていこうと思う。 そういえば今朝はようやく新居にインターネットが入った。何だか、その...

くだらんおっさんたちよ、とりあえずここらへん聞こうぜと言いながら只々最近私がエモいと思った曲というかもう只々好きな曲を羅列する記事

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私は「ある種の」おっさん的思想が苦手だ。 そこら辺に関連して縦書きブログを更新した。 共同体と個・溶液・一九八四年 - RT - g.o.a.t ちょっと内容がペシミスティックにすぎた気がするので、そんな頭の凝り固まったおっさんたちに聴いてほしい曲を羅列することで近年のポジティブな面を楽しもうと思う。世間から叩かれまくってるおっさん方もこの素晴らしい現代の自由な音楽を聞いたらいいんじゃないかしらと思うのです。 Rei「Lonely Dance Club」 ほんと素敵。まずかっこいい。そしてかわいい。肩肘張って現代に戦いを挑むよりも、まず自分らしくあろうとする彼女の音楽スタイルがすごく好きです。何よりクオリティも半端ないのだけど。 藤原さくら「ゆめのなか」 この曲、歌詞をじっくり聴くとすごく心に来る。ラブソングじゃないんだよね。いや、ある意味ではラブソングか。「好きとかきらいとかそういうんじゃないんだ。ただ、、、大切にしてあげたいな 笑ってたいな」 すごく好きな歌詞の曲。 ALI「LOST IN PARADISE」 最近好きなバンド。かっけえ。多国籍バンドなんですってね。そして、HIP-HOPとのコラボも多く、めっちゃクロスオーバーだなあと大好き。そして、この曲、呪術廻戦のアニメのテーマなのね。あれ、漫画で一時期ハマってました。ここのところ、漫画を読むのをやめてしまったので、追っかけてはないのだけど(決して漫画へのディスとか、「俺、漫画読まねえんだよな」という謎マウントではなく、純粋に自分の何となくの流れで今そうなっているという話です)。ここ近年の豊作だったジャンプ漫画でも、たまらなく好きな漫画だった。釘崎野薔薇最高。 フラワーカンパニーズ「深夜高速」(The First Take) いや、もうなんか最近聴いててやばい動画を挙げる流れになってきている。原曲の「生きててよかった」とはまた違う趣きの「生きててよかった」。フラカンはベスト聴いたくらいだけど、この曲はたまに全力でカラオケで歌ってます。しかし、このアレンジはやばい。 橋本愛「木綿のハンカチーフ」(The First Take) もうただのファーストテイク縛りではないか。いやでも、この人いいなあと思った。俳優さんなのね。だからこそのこの表現なのかな。この曲ならおっさんも楽しめるでしょ?しかし繊細な表現ができる人な...

引っ越しの話;生き方と土地

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個人的な話で失礼仕る。 そもそもブログは個人的な話をする場ではあるのだが。 本日、2021年2月1日に、茨城県つくば市から千葉県我孫子市へ引っ越しをした。 特に仕事を変えるとか、誰と同居しはじめるとか、そういうことはない。家賃は今より幾千円か安くなり、居住スペースは7割程度になった。 今回の引っ越しに関して、兎にも角にもテーマは住む土地を変えることである。 「職住近接」という言葉がある。 私の仕事は、「研究・開発分野の団体職員」である。そしてつくばは、研究・開発の街である。「職住近接」という観点からいえば、何と理想的な環境かという話になる。 のだけど、実際に私の人生というものを考えたときに、これが全てなのだろうかという気持ちが強くあった。 研究者、というものを見ていると、一つのテーマに深く潜ることが得意な人が多い印象を持つ。この仕事についてもう5年が経つ訳だが、就職してから近年に至るまで私は、それが理想だと思って生きてきた。 ただ、この5年、というか大学院の修士から数えればこの7年、私は色々なものを擦り減らしてきた気がする。 昨年、このブログを立ち上げた。その中で、読書や音楽について語る、或いは些末ながらに文を書き、曲を作る行為を行っているうちに、こういったことが自分にとってどれほど大切かということを改めて思い知った。 私の人生は、仕事に規定されるものではない。 それがここのところ思うところである。私の人生には本来、仕事があり、読書があり、音楽があり、映画があり、旅があり、そしてなんだろう、他にもまだ私も気が付いていない何かがあるのではないか。 そう考えた時、つくばという街に住み、研究という仕事をすることを少し危ないことではないかと思った。 それで、ここ2年ほど引越し先を探していた中で決定したのが、今回引っ越してきた我孫子市という街だ。 最初にこの街を選んだ理由は極めて物質的な理由からだった。 通勤時間がそれほど長くならないこと。街としてうるさすぎず、静かすぎないこと。 最初はそれだけだった。 それが、何度かこの街に通っていてわかったのだが、この我孫子という街は古い別荘地であり、明治終期から大正にかけての文学での一大ムーブメントであった白樺派が一時期拠点としていた土地でもあるということがわかった。 決して家探しをしたときに、白樺派を読んでいたわけではなかったから、そ...

小説「がき」

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もちまちま更新してまいりますので、引き続きよろしく遊ばせ。 実は2月頭に引っ越しが決まり、色々ばたついている。 そんな中、前回に引き続き、自分が見た夢を小説調にしてみる試みを再度。 今回は、12/26の早朝に記録した夢がベース。ある意味ホラー?タイトルは「がき」。前回のもそうだけど、夢をベースに書いてみると、内田百閒の「東京日記」っぽくなる気がする。 がき - RT - g.o.a.t よろしくご査収ください。

小説「緑のおおとかげ」

今朝の夢を書き出したら結構まとまってたので、一部書き換えて短編小説調にしてみた。 小説を書きたいという創作意欲は、十年来あったのだが、夢を言語化しただけだから、創作とも言い難い部分もあるので、なんともなのだけど。個人的にはなかなか興味深いものになった気がする。 緑のおおとかげ - RT - g.o.a.t

しんどい日の日記

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しんどいなあ。 しんどい。 「たかがそれだけ」のことから始まって、色々なことを連想する。 自分の中の虚ろが強く存在感を主張する。録画していた深夜番組が途切れたとき、聴いていた曲が終わったとき、読んでいる本を置いてトイレに行こうとしたとき、部屋の中に充満する空虚さが強くその存在を主張してくる。 色々考えると、これまでの自分の行動原理は基本的に虚無感だったんだなあと思う。心の内にある虚無感を埋めるためにあらゆるものを詰め込み詰め込み、それを漏らして漏らして、ずっと空っぽのまま走っていたのだろうなあと。これまでの人生で色々な優秀な人たちのなかに紛れる機会が多かったのだけど、その度にいつも自信に満ちている彼らと比べたときの自分の色のなさを(無意識下で)意識していたんだろう。 もう、色んなことが正直しんどい。何で皆平気な顔してこんな世界を生きてるんだろう。 この歳で漸く、どうにか歩いていく方法を学ぼうとしている。右足を出して左足を出して、その次の右足を挫いて、勢いで左足も怪我をして、うまくいかない。周りの人間がたったかたったか歩いている中で俺は何をちんたらちんたらやっているのかと反吐が出る。 何で俺はこんなにもうまく歩けないんだろう。 「俺たちはただ普通に息を吸って吐くだけが何故難しいでしょうか」(in 「オトナ」by Creepy Nuts) だけど、まあ、何だろう。外的要因じゃないんだよな。ずっと。もう20年以上、内に抱えてたもので、いつかは向き合わないといけなかったものなんだろうと思う。 ニュースに出てくる下らない年寄りにならないために、今のこのしんどさがきっとあるんだろう。俺に、あんなことを言ったあの下らない中年にならないために、今のこのしんどさがあるんだろう。どうにかしてこうにかしてこのしんどさの中を生きていって、どうにかしてこのしんどさの先に中身のある自分を見つけてやりたい。この歳でこのしんどさに向き合うのは、ある意味幸運なのかもしれない。みっともない年寄りになる前に、自分の大きさをもう一度考える。 自信はさらさらないのだけど。全くないのだけど、このしんどさの先に、しんどさを誤魔化さずに向き合った先に、虚ろではない自分が居るとでも思ってないと、立っていることすらしんどいよ。 しんどいものはしんどいから、無理はしちゃいかんね。俺はもう壊れてたんだよ。長い間。ようや...

久々に映画の話;自分の価値をどう定めるか

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最近は本を読むことが多いこともあって、あんま映画を観ていなかった。 久しぶりに映画を観た話を。 「おんなのこきらい」 https://eiga.com/movie/81389/ 監督は加藤綾佳、主演は森川葵。 数年前に初めて観て、その後も数度鑑賞している。 森川演じる主人公キリコは、徹底的に媚を売り、男にはちやほやされ女には嫌われる「かわいい女の子」。かわいくあることに全てを費やし、かわいい食べ物を食べるのが大好きで大量に食べるものの、体型を維持するためにそれを全て吐く摂食障害者。 齢二十九を迎える男がどうしてと思われるのかと思うかも知れないけど、私は主人公キリコにすごく共感を覚える。 徹底してイメージを作り上げて生きていくことが生む自分の中の空虚さ。 イメージに頼って生きて、そのイメージが崩壊したとき・維持できなくなったときに自分の人生が迎えるカタルシス。 キリコにはずっと好きで尽くしていた男がいた。その男のためにずっとかわいくあり続け、その男にはそういうところが面倒くさいと振られ、別の女とくっつくことになる。その女に言われる一言。 「おばけみたい」 自分は、皆に好かれるために、この世界でやっていくためにそのイメージを纏ってきたのに、気が付いたらそのイメージの内側に何もなくなっている。人生の全否定である。 キリコの人生が崩壊したときの感覚が私にもよくわかる。 私ももう、自分のイメージをコントロールして生きていることに疲れてしまった。イメージのコントロールが生む空虚さに耐えられなくなってしまった。 恐れることも怒ることも、自分に許すことができずにオトナになってしまった。 表では、冷静で柔和で人の良いイメージを作りながら生きてきた間に、どんどん自分の中の自分の価値がなくなっていった。それを埋めるために必要なものはそんじょそこらの欲求では敵わない。 キリコは、それを埋めるためにかわいいものを食べ続け吐き続けていた。私も、それに似たことを色々とやりながらここまで生き延びてきた。 そんな生き方は保つ訳がない。その空虚さを埋めるべく使われるものの全ては、人間の身体を健全に保つようなものではない。過食症をもつ人は、口にしたものを全て吐くから、体内を激しく傷つけるし、薬を飲んでも吐くが故にそれが効かないとも聞く。 この映画の訴えかけることは、自分の価値を自分でどう定めるか。本当の...

なぜ天才でもないのに曲を作るか;新しい曲のご紹介(歌詞込み)

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新しい曲を書いた。 「幸せになれますように」 うまく説明するのが難しいのだけど、これまで書いた曲の中で一番手応えのある曲だったりする。 曲としては大したことないと思う。そんな複雑な構造も美しいメロディもなく、言いようによっては凡庸だとも思う。 だけど、この曲を録音したときに、「ああ、俺が曲作りで書きたかったのはこういう曲だった」と、そんな気持ちになった。 歌詞としては、都内を歩いていてふと目についた景色と自分の人生を重ねたもの。秋葉原の駅近くで、寒い中、笑顔を振りまきながら客寄せに立つ女性。 程度の差こそあれ、自分の体を、女性であることを、自分の本音を隠して売っている人たち。きっとその人達にもそれぞれの考えや思いがあって、それを勝手に遠巻きに悲観的に見るのもどうかとは思うのだけど、作りきった自分を売って報酬を得るというその生き方が、なんだか自分の生き方と重なってしまって。 私も、ずっと娼婦的な生き方をしてきたと思う。作り笑顔と相手の求めることに応じて、自分を殺して。それで、コミュニティの中での安定した立ち位置とか、批判されない安全性とか、そういう報酬を得てきた。 そこには報酬がある。だけど、一方で私達はその報酬を身を切らずには得られない。隠した本音は、たぶん私達が一番大事にしないといけないもので、それを差し置いて売り続けた身体は、目に見えないところで、相当に傷つくのだと思う。 私は、どうしたらそんな娼婦的生き方を変えられるのかわからない。どうしたら、彼女たちが幸せになれるのかわからない。だけど、この世界のほの暗いところで、静かに傷ついていく人たちが少しずつでも幸せになれたらいいなと、そんな願いを込めた曲。私はキリストでもブッダでもない。自分のことすら救えない。祈ることしか出来ないんです。 そんな歌。初めての試みだけど、歌詞を掲載してみる。 誰かを、自分を祈ることができる歌を書けたのが少しうれしい。 あと、この曲も書けて嬉しかった曲(先日紹介済み)。 こちらもせっかくだから歌詞カードを作ってみた。 私は音楽が好きだ。それなりに色々な音楽を聴いて感動してきた。ある種の音楽をあほらしいとバカにして、ある種の音楽を崇めるように聴く。だから、自分で曲を作ったものを聴いても、凡庸だなと思うことは多々ある。 また、私は小説が好きだ。それなりに読んできた。たまに書きたいとすら思う。...

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いびつなひとのためのまっすぐな音楽

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縦書きブログを更新した。 私は発達障害者です - RT - g.o.a.t 今年の3月、ADHDの診断が出たというお話。 色々と生きづらさがある私だし、世間には生きづらい人が山程居る気がする。それを証拠に、この世の中には、山のように生きづらさを叫ぶ歌が溢れている。 最近、生きづらい私のエモーションを揺さぶる(エモい)曲をまとめておきたいと思う。 Rei「ERROR 404」 ボクたちの心臓は 刻んている 不揃いなbeatを I'm an ERROR ERROR ERROR 刻々と時間 すぎさっていく 無力なボクのtempo I'm an ERROR ERROR ERROR 素晴らしい。私と同世代でこんなにクラシカルでニューエイジで最高にクールな曲を作る天才の一人。歌詞に込められる、「自分らしくあってやる」という彼女の魂に、いつも勇気をもらう。 長澤知之「はぐれ雲けもの道ひとり旅」 少しその街を離れて ケータイの電源を切って しばらく友達も忘れて 鈍行に揺られるだけでいい 君にとってその生活が時折負担になったなら 恋しくなるまで旅をして 恋しくなったら戻ればいい この人は、以前の記事にも書いたが、はじめはオフィスオーガスタの福耳の一員として、そのギタースタイルと独特の声質が気になって、その後ALのメンバーとして認識して、最近漸くソロを聴くようになったのだけど、センシティブで傷つきやすい自分の弱いところを、格好つけず素直に歌い上げてくれる等身大の歌詞が魅力。これまた大好き。  ズーカラデル「イエス」 有り余る情熱が 君を追い詰めるだろう 阿呆みたいな顔して流れてく 人混みを追いかける 見そうで見えない答えが どうにもならん苛立ちが 小さくても消えない魔法が 未だに足を突き動かす まだ何も判らないけど 行かなきゃ ほらイエス言え この人達もよい。等身大。かっこいいんだけど、かっこつけていない。ある意味ではダサさすら感じる。こういう人たちがちゃんと売れてほしいなあ。 Mr.Big「Goin' Where the Wind Blows」 Am I strong enough to walk on water Smart enough to come in out of the rain? Or am I a fool goin' where...

曲作りと録音

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曲を書いたり、既に書いていた曲を録ったので、ご紹介。 これまでに書いた曲はこちらのページにまとめているのでお時間あれば是非。 https://satsumage81.blogspot.com/p/blog-page.html 手を振り足を鳴らし 今年(2020年)の1月頃に書いた曲。生きるって、なんだか踊っているみたいだなあ。って思って書いた曲。 小春 小春って、旧暦での月の名前だったんですね。というのを最近読書していて知って。それで、たまたま全く関係ない曲のコードをつけようとしていたときにギターを触っていてできた曲。 単調すぎるだろうか。。。もう少し作り込むか迷うところ。 正直、3分くらいの曲の大半が、最後の「長い冬を待つ 小春」に向けての助走というか、ふりみたいになっている気もする。 秋風 このブログでも紹介済みの曲。2013年頃に秋空を見ながら書いた曲。 よろしければご一聴ください。